第15章 狼なんかこわくない【トド松/学生松】
「セ・ン・セッ」
甘えたような口調で声をかけられ、私は顔を上げた。
新しくできたばかりのきれいな教室の一角。机に乱雑に積まれた整理中の問題用紙の山と格闘している最中だった。
他の講師や生徒たちが教室に来る前のこの時間は1分でも惜しい。
これから数人の保護者に電話で連絡を入れなくてはいけないし、生徒一人ひとりの学習状況が記録されたカルテの整理、テストの採点、明日の朝に本部で行われる会議の資料作成……。
自分の授業の予習以外にも、やることは常に山積みだ。
「なーに? 授業は5時からだけど?」
内心苛ついているのを顔に出さないようにしながら、フライングで教室に入ってきた生徒を見つめる。
「やだなぁ、先生。早く来ちゃだめなの? ボク、先生の顔を見たくてわざわざ学校終わってすぐに飛んできたんだよ?」
スマホをポケットにしまいながら、可愛いらしい上目遣いで覗き込むのは、松野トド松。この塾の高3コースに通う生徒だ。
制服の上からコートを着て、ピンクの洒落たモコモコのマフラーを女の子のように首に巻いている。
高校3年生にとって、12月の今は、受験シーズン真っ只中だが、この松野トド松という生徒には関係ないらしい。
大学受験はしないと言い放ち、『じゃあ、進路はどうするの?』と聞いても、はぐらかされてまともに答えは返ってこない。
私は立ち上がると問題用紙を片付け始めた。
「うん、別に早く来るのは構わないよ? ただし、速やかに隣の自習室へ行きましょうね、トド松くん」
生徒たちのことは、名字で呼ぶのが原則だが、兄弟で入塾している場合は別だ。トド松くんは六つ子で、全員が教室に通っているため、区別がつくように名前で呼んでいる。
「えぇ〜! 自習しに来たんじゃなくて、愛菜ちゃんと話しに来たのっ」
トド松くんが不服そうに頬を膨らませる。