第54章 竹のこと
「竹様、お待たせしました…」
声を掛けて襖を開く。
「さ、じゃあ、髪の毛を拭きましょう」
竹は持っていた手拭で丁寧に髪の毛を拭いてくれる。
「竹様、それくらい自分で出来ますよ…」
「ほほ、これくらいさせてちょうだい」
笑顔で髪の毛の水分を手早く拭ってくれる。
「娘がいたらきっと親として、こういう風にしているだろうなと思って、世話を焼きたいんですよ」
「そう、ですか…」
静かに髪の毛を拭かれる葉月だった。
「…竹様のおこさんって、娘さんはいないのですか?」
「私に居たのは息子だけですよ。でも夫も息子も戦で死にました」
息を呑む葉月。
春だけではなく、戦で夫やこどもを亡くした人は、ここにもいたのか。
「…竹様はどうやってその悲しみを乗り越えたのですか…?」
「乗り越えて?いいえ、乗り越えてませんよ。
今も二人を思い出して悲しみにくれてます」
驚いて葉月は振り向いて竹を見る。
竹の瞳は見た事のない、悲しみを湛えていた。
それでも竹は、葉月を促して前をむかせ、髪の毛を拭いてくれる。
「いつまでも夫と息子を忘れません。
そうしたら、きっと生まれ変わって二人とめぐり逢うと思ってますよ」
「竹様…」
平和な世で育った自分には、想像を超えた、苦しい想い、だ。
竹様と旦那様と息子さんと…また出会って欲しいと強く願った。