第1章 日常/鬼灯の冷徹/白澤/裏/対モブ女
桃の花が甘く香しい季節だ。
締め切った部屋の中にでも、その香りはほんのり漂っているようで 柔らかい寝具は日頃より心地良さを増している気がする。
早朝との事もあり、外では若葉は朝露に濡れ 鳥のさえずりでも聞こえて来そうな清々しい景色を作り出しているだろうか。
ほんの一瞬、窓際を見ながらそう思った白澤は すぐに視線を下に降す。はだけた服はシワだらけで 腹にはほんのり色付くいくつかの鬱血痕がある。まあ神獣たる彼にとってはこんなものはあっという間に消えるので 次のデートにはなんの支障も出ないだろう。気にも留めないのはいつもの事だ。
白澤は隣に寝ている女の頭をそっと撫でた。さらさらした艶やかな髪は白い指の間をしなやかに従ってゆく。桃の花とも薬草とも違う女性特有の髪の匂いが 柔らかく鼻孔をかすめてくる。
「…………白澤、さま?」
「ん〜 おはよう」
どうやら起こしてしまったみたいだ、もちろん半分はわざとだが。眠そうな顔でふわりと笑顔を見せる様は女性をたまらなく愛らしく見せる。こちらも自然と表情が緩んでしまう。
「……何ですか?じっと見て」
「いやぁ、昨晩はめちゃくちゃ可愛かったなーと思って」
「……もおっ!やだ」
照れた顔も愛おしく何度か髪を梳いてみた。それを幸せそうに感じながら 女はそっと目を閉じる。一線を超えた朝の迎えは彼女にとって それは幸せなものだろう。照れ臭そうな鈴の声は 鼓膜をじわじわ犯してくるようだ。
「……昨日は白澤様も、とても素敵でした」
「えー そう?」
「はい。もちろん」
「キミに言われるのが1番嬉しいなぁ」
思わず女の頰にすりとじゃれつき 薄い唇を落とした。白澤自身もこういった甘さのある時間はもちろん嫌いではない。
それをかき消すが如く 遠くからはっきりと鳥の鳴き声が聞こえてきた。つまりあと少ししたら店を開けるための準備に取り掛からねばならない時間帯という事だ。そういえば本日の夕刻には かの地獄の性悪鬼が納期の薬を取りに来る手はずとなっている。
悲しくも朝の時間は多くはない。その中でも是非“もうひと遊び” 有意義に刻を使いたいものである。
目的が定まればいとも簡単な事、指先に絡んでいる女の髪は 昨夜の熱い痴情を思い出させる材料に早変わりをするではないか。