第17章 (日)夏幻
「あの、あなたは…」
思わず尋ねていた。頭が麻痺したように思考が働かなかった。
男の人は私に視線を向けて、にこりと微笑む。
あぁ、なんて優しい笑顔をするんだろう。包容力が滲み出るような彼の佇まいから目が離せない。
「申し遅れました。私、此所の店主の本田菊と申します」
そしてこの可愛い子はぽち君です、と子犬を持ち上げる彼。
返事をするようにキュワンと鳴いたのを聞いて、私の表情は綻んだ。
「あ…お店、今開いてますか?」
尋ねると、菊さんはこぼれるように暖かい笑顔を見せた。
きい、と扉のもう片方を開け、私に道を開ける。
「勿論ですとも。ようこそ、いらっしゃいませ」
室内に案内された私は、木の床の上を菊さんに導かれて歩いていた。
菊さんの着物の衣擦れの音だろうか、しゅるしゅるという音と床の軋む音が心地良い。
家の中は予想通り綺麗で、壁に掛けられた一輪挿しが所々で私を出迎えた。
「今日はほんとに暑いですね」
「ええ。こんなに暑い中を歩いて、さぞお疲れでしょう」
「そうなんですよ!この辺りコンビニとかもないので…」
「ふふ…。折角のご縁です、ゆっくりしていってくださいね。…此方ですよ」
開けられた襖の向こうは畳の座敷。そして、更に奥に縁側とへ続く襖も広々と開放されて、外から見た桜の木と池が見える。
襖には外の緑が映り込んで涼やかな色をつけていた。これぞ和風家屋と唸りたくなるような、稀有な空間だった。
「わぁ…ずっと思ってたんですけど、本当に綺麗で素敵な家ですよね」
「勿体無いお言葉です。お若い方には、渋いと思われるかもしれませんが…」
「そんな事ないです!私、この家大好きですよ。初めて見るのに何だか安心します」
苦笑する菊さんに必死に弁明すると、菊さんは軽く吹き出した。
「ありがとうございます、そう言って頂けて嬉しいですよ」
「す、すみません…」
「いえいえ。この家も大分古いですし、時代に取り残されたように感じていたものですから」