第8章 慕情…
母様に急かされるまま、僕は簡単な身の回りの物だけを手に、家を飛び出した。
智子のことが気にならないわけではなかった。
すやすやと寝息を立てる智子の寝顔に、後ろ髪を引かれる思いだった。
でも、いつになく逼迫を思わせる母様の様子が、僕に別れを惜しむ時間させも許さなかった。
僕は母様の、
「智子のことは心配いらない」
その言葉だけを信じて家を出た。
でも僕に行く宛などあるわけもなく、結局今では二宮の名義になっているあの下宿へと駆け込むしかなかった。
部屋に入るなり、僕は部屋の片隅で、布団を頭から被り、明かりを灯すことなく、ただ息を潜め、時の過ぎるのを待った。
その間も考えるのは、一人残して来てしまった智子のことばかりで…
智子はどうしているだろうか…
突然僕が姿を消してしまって、一人涙を流してはいないだろうか…
もしかしたら今頃酷い折檻を受けているかもしれない…
そんなことばかりを考えていると、胸が締め付けられるように苦しくなった。
やはり智子を残して来るべきではなかった。
無理にでも智子を連れて来れば良かった。
胸の底に後悔ばかりが募っていく。
ごめんよ…
僕を許しておくれ…
君を一人残して来てしまった僕を…
でもあの時は、どうしても母様に逆らうことが出来なかったんだ。