第16章 離れる4【家康編】
「本当に本日はありがとうございました。ここでもう、大丈夫です」
「えっ、あ、そう、本当に……」
(行ってしまうんだね、一人で)
「迎えがおりますので、大丈夫です」
「うん、わかってるけど……」
(こんな思いにさせといて)
「またお会いできる日を楽しみにしております」
「薬湯持たせるから、ちゃんと飲みなよ」
(まだ離れたくないなんて、どうかしてる)
「はい」
「頼みたい絵があるから、早く治して」
(まさかこんなに乱されるなんて)
「はい」
「じゃあ、ここで」
(でもこれ以上は……)
「では、失礼致します」
そう言うと、ひいろは再び頭を下げると俺に背を向け歩き出した。そして門の外へ立つともう一度振り向き、また頭を下げる。
片手を上げそれに答えると、ひいろは一度微笑み、それ以降は振り返ることなく俺の前から消えていった。
「……返せなかった…か」
懐に入れたままのひいろの手拭いを着物の上からそっと撫でる。
返せなかったのか、返さなかったのか、今はよくわからない。
「次、会ったらね」
小さく呟きその場を後にする。
最後に触れたひいろのぬくもりが、胸の奥の燻りを消さぬまま、ちろちろと揺れ動いていた。
どこかで鴉の鳴く声がした。