第13章 離れる【光秀編】
もう一度絵に視線を落とす。
あるべきはずのことねの顔が、そこにはなかった。
いつも見ている見ていたいと思う、怒ったり泣いたり笑ったりと忙しいほどに表情を替え、花のよう愛らしく美しいことねの顔が、そこにはなかった。
あるのは無造作に落とされた、真っ黒な墨のみ。
この絵を、ひいろはどんな思いで描いていたのだろう。
あれほどに絵に入り込むひいろが、なぜ?
あれほどに絵のことばかり考えているひいろが、なぜ?
「……家康か」
ふと、頭に浮かんだ言葉が我知らず口に出る。ひいろは、ことねに家康を重ねて見ていたのだろう。夏祭りで見た、手を繋ぎ微笑み歩く家康とことねの姿を。
あの日のように、平静を装いことねのことを描いていたのだろう。俺の浴衣を強く握ったように、筆を握りしめ、自分のするべきことをするために……
でも、できなかった……
だから、顔が描けなかったのか……
……俺が、俺が側にいなかったから
あの日のように俺が側にいれば
……何か、変わったのか……?
とにかく、早くひいろを探さなくては
俺が、見つけてやらなくては
俺が、あいつを……
訳のわからぬ感情が、一気に押し寄せてくる。俺はやはり、どうかしているらしい。ひいろのことになると、青臭い思いが邪魔をする。
絵を元の場所に置き、早る気持ちを誤魔化すようにゆっくりと歩き出す。
何処かにいるひいろを思い、其処へ行くのは自分だと信じながら。