第10章 【番外編】いろは屋~その二~
いろは屋の奥座敷。主人の吉右衛門が住居として使う間の一番奥。ひいろでさえも、余り訪れたことはない。密談するには最適な場所。
時は、番頭が雨の中ひいろを迎えに行った、その日の夜のこと。
「なっ……家康様がひいろに……」
「はい」
一之助(番頭)の報告を受け、吉右衛門が絶句する。
昼間の家康とひいろの雨宿りの様子を、一之助は少し離れた所から、すべて見ていたのだった。
「イチ、お前は大丈夫なのかい?」
吉右衛門が心配そうに眉を寄せ、一之助を見る。
一之助は静かに目を閉じ頷くと、目を開け眼鏡を直す。
「私は大丈夫です。今回のことは、少し計算外のことでしたが」
「ほほほ。イチ、人の心とは計算で成り立つものではないですよ。思わぬ行動を取るから、人なのです。だからお前も、最後まで二人を見ていられなかったのではありませんか?」
一之助の言葉に、黙って聞いていたじぃが口を開いた。
「お前の顔を見ればわかります。いくら表情を消したつもりでも、気配や目の動きで、お前の心の動きなど手に取るようにわかりますよ。そのまま、二人を見守っていることなど、できるものではなかろう。のう、イチ」
「……はい。申し訳ありません」
そう言うと、一之助は吉右衛門に頭を下げる。