第9章 Despacito (芥川龍之介)
そこで一息をつくと、彼女は僕の肩に額をつけた。
「…それに龍だって…上着がなきゃ負けちゃうなんてこともないでしょ?私が龍に背中から抱きかかえて眠ってもらうことにしたのも、龍が安心して眠れるようにだもん。」
そういった彼女に、僕の胸が詰まる。
「けど龍の顔も見られなくて、温度も遠いんじゃ、やっぱり目が冷めたとき寂しいんだよ。」
たまらず唇を奪えば、彼女は待っていたかのように受け入れる。
互いの熱が行き交い、たしかに朝起きたら同じ体温になっていたらどんなに幸せだろうと思う。
彼女の額にもう一度キスを落とすと、僕は上着をソファに落とす。
「…たしかに温いな。」
彼女を抱きしめて言えば、深愛は泣きそうな、しかし嬉しそうな顔で僕に抱きつく。
それを受け止めながら、僕は言った。
「お前と過ごす時間は、たとえ一秒にも満たないとしても、今までの人生全てよりも価値がある。…少なくとも、僕にとっては。今まで人の屍を踏み歩いてきたし、今でもそうだが、それでもそこが天国のようにさえ感じる。」
だからこそ、とその瞳を覗き込む。
「失うのが恐ろしい。僕に何もなくなってしまいそうで。」
なくならないよ、と彼女がささやき、僕を抱きしめる。
「気づいてないかもしれないけど、龍も私も、沢山の人に守られてるんだよ。」
その晩初めて、互いに抱き合って、僕は上着を脱いで眠った。
あんなに怖かったのに、彼女のぬくもりがすべてを忘れさせてくれた。
そうか、僕が欲しかったのはこれだったんだと。
そして彼女もそうだったんだと。
深い海に沈むような、心地よい微睡みの中思った。
(ゆっくりと、ゆっくりと、お前の温もりが僕に移っていく。)