第1章 僕と勇利、時々『デコ』
『愛人のムチ』
ヴィクトルの一時帰国中、長谷津のリンクで勇利の練習を見ていた純は、そこで彼とひと悶着起こした。
「そんなん、エエ感じの所でシュッと飛んでバッて着地したらオッケーと違うか?」
「ザックリ過ぎの上、擬音ばっかでちっとも説明になってないよ!」
「普段、僕のアドバイスは説教じみてて嫌や言う癖に。4Lzならデコに教えて貰いーや」
「ヴィクトルのは体格差の所為か、軸足の使い方に違和感を覚えたんだ。純が昔、全日本の最後の試合で跳んでた4Lzの方が、僕にはしっくり来そうで…」
「ほー。正妻じゃあかんかったから、愛人にていう訳か。馬鹿にせんといてくれるか?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「ほなどういう意味や?自分でロクに考えも実践もせん内から、安易にヒトに聞こうとか思わんとき」
「…純のケチ!」
「京都人はしぶちんがデフォや!今頃気付いたんか?」
数日後。
とあるスポーツニュースのゲストとして出演した純は、そこで勇利についてコメントを求められた。
かつてはスケート以外で目立つ事にかなりの抵抗と拒絶を示していた純だったが、最近では持ち前の頭脳明晰さによる判り易いルール説明や解説等が評判で、大会にも出演する機会が増えていたのである。
「僕は、勝生選手ならやってくれると思うてます」
「それは、どういった理由からですか?」
「勝生選手は体幹がしっかりしているので、足首や膝に余計な負担をかける事なくジャンプやステップ、スケーティングをこなせるのが何よりの強みです。現在取り組んでいる4Lzは確かに難しいジャンプですが、4Fを持つ彼なら、その応用でどうすれば良いのかすぐに気付くでしょう」
外面全開な純の姿をモニタ越しに見ながら、勇利は彼の言葉を頭の中で反芻させていた。
そのシーズンで、ついに『漆黒の怪物』勝生勇利は、コーチであるヴィクトルと同じ4回転ジャンプを装備するに至った。
「コーチとしては礼を言うけど…勇利の4Lz習得の鍵がお前だったのは気に食わない」
「あれだけヒント言うても判らんかったらそれまでやったけどな。僕は、『怪物』に愛のムチをくれてやっただけや。正妻なら、それがクセにならんよう躾けとくんやな」
唇を尖らせている正妻に、愛人は満更でもない風に目を細めた。