第1章 僕と勇利、時々『デコ』
『愛人の楽屋裏』
ロシアナショナルに参戦中のヴィクトルは、日程が重なっている為帯同できない全日本選手権で、自分の代わりに勇利のコーチを務める純の姿をスマホ越しに眺めながら、ひと言呟いた。
「あいつ、何気に良いコート着てるな…大会が終わったら、俺もコーチ用に新調しようかな?」
「下らん事を抜かしとる暇があったら、さっさとリンクに行かんか!」
時は少し遡り、GPF終了後間もない頃。
「お義兄さん!今度の全日本の時に、お義兄さんのコート貸して下さい!」
京都の実家に駆け込んだ純は、開口一番姉の夫で婿養子の義兄に頭を下げた。
「純!アンタはまたウチの人から服巻き上げようとして!アレは、ウチの人がわざわざ神戸のテーラーで誂えて貰うた一張羅なんやで!」
「姉ちゃんやのうて、僕はお義兄さんに訊いとんねん!」
唐突な義弟の頼みと、そんな彼を叱咤する自分の妻を見比べると、義兄は苦笑混じりに頷いた。
「ええ、ええ。どうせその日も僕は店やし、純くんなら上手に着こなしてくれるし」
「おおきに!ちゃんと専門店で、クリーニングして返しますわ」
確信していた義兄の返事に、純は右の頬に笑窪を作りながら礼を言う。
「この子はな、昔からこうやってねだれば通じるの判っててやっとんねん。只のコーチ代理なんやから、手持ちの服でマシなのあるやろ?」
「相手はあの勝生勇利やで?その裏にデコもおるのに、半端なカッコなんか出来ひんわ!これは、僕の『愛人』としての矜持やねん!」
意味不明な弟の発言に、姉夫婦は不審気な視線を送っていた。
「ヴィクトルもロシアで試合中だし、本当にそこまでする必要あったの?」
「あのデコは、勇利のついでに僕の事も見とる。それで『見てくれも服も、俺の方がセンス上だよね♪』とか悦に浸るつもりや。そうはいかへん」
「はあ…あ、襟にクリーニングのタグ付いてるよ」
「え、嘘!?」
「純、焦ってる~♪」
「…もぅ、からかわんといて!」
勇利は、自分の冗談に少しだけ拗ねた顔をした純の肩を、愉快そうに叩く。
そして、そんな2人の様子をスマホ越しに眺める蒼い瞳が、怪訝そうに細められたのは間もなくの事であった。
※普段他人に優しい主人公も、家族の前では末っ子気質全開でちゃっかり屋という話。