第4章 番外篇・僕と『ヒゲ』
『コーチの自負と、男の感情』
「どういうつもりだ」
珍しく不機嫌をあらわにした藤枝に、純は困惑の表情を浮かべた。
勇利と共に、プロ枠からジャパンオープンへの出場が決まった純は、本番に向けて短期間ではあるが、新たなコーチにつく事を考えていた。
そして、何人かに「引き受けても良い」という返事を貰い、候補を絞ろうとしていた矢先、事情を知った藤枝に詰問されたのである。
偶然同じ大阪のリンクで練習をしていた勇利とヴィクトルも、2人のただならぬ気配に彼らの傍へと近寄った。
「候補者の中には、かつてお前を袖にした奴もいるじゃねぇか。そんな連中にお前を任せられるか」
「試合の勘を取り戻す為には、彼らの力を借りるんも有りやと思う」
「本当にそれだけか」
重ねて問われて純が一瞬口ごもったのを、藤枝は見逃さなかった。
「正直に言わねぇと、2人きりの時に是が非でも吐いて貰う事になるぞ」
「ワォ、ヒゲさん情熱的♪」
「ふ、藤枝コーチ!」
「俺はお前のコーチじゃねぇ」
「藤枝さん!純は、何の理由もなくこんな事しないと思うんですけど」
「判ってんだよンな事は。ただ、俺に隠れてってのが気に食わねぇ」
3人のやり取りを聞いていた純は、やがて観念したように口を開いた。
「今の貴方と僕とじゃ、師弟として良くないて思うたんや。スケートやのうても、家族や恋人に教えるんは難しい言うやろ?」
実際、純のピアノの先生も、自分の子供は同門の姉弟子の所へ習いに行かせているという。
「えー、それは必ずしもって訳じゃないよぉ」
「あんたらのは、特殊中の特殊や!こんなのがスタンダード言われた暁には、世界中の師弟関係崩壊するわ!」
「何気に失礼な事言ってない?」
「昔ならともかく、僕も貴方に対して余計な感情が入ってまうかも知れへん。ジャパンオープンとはいえ、試合に向けてそういうんは…」
「見くびるな。昔も今も、俺はスケーター上林純を、誰よりも魅せられると自負してる」
「え?」
断言する藤枝に、純は目を丸くさせる。
「判ったら、さっさと支度しろ。…お前が嫌って程じっくり見てやるから」
その日と夜、リンクとベッドの上でみっちりと藤枝のレッスンを受けた純は、見事試合でPBを更新する事となった。