第3章 僕と「はじめまして」や、その他諸々。
『温かな涙の味』
シーズン前の花試合とはいえ、かつてない程の醜態を晒してしまった礼之は、演技終了後も気持ちを切り替える事が出来ずにいた。
しかし、そんな礼之の手を少しだけ強く握りしめながら咎めてくる声があった。
「ちゃんと最後まで見届けるんだ」
口調は優しいが、ここから逃げ出す事を許さないといった先輩の眼差しを、礼之は痛いまでに噛み締めつつフィナーレに臨んだ。
その夜、同じ宿泊先の勇利の部屋に呼び出された礼之は、改めて今日の自分の試合内容や態度について謝罪した。
「申し訳ありませんでした。皆さんにも迷惑かけてしまって…」
「礼之くんは、今回急遽代理出場だったからね。それでも、自分の失敗は他の選手や観客には関係ないから、リンクの上でああいう態度はダメだよ」
「はい。調整できなかった僕が悪いんです。あんな…」
「…礼之くんはどうして泣いてるの?」
勇利の問いに、礼之はその青い瞳に涙を浮かべたまま顔を上げる。
「転倒した所が痛む?」
「…いいえ」
「それとも、コーチからのお説教が怖かった?」
「寧ろ何も言われなかったのでそっちの方が堪えましたけど、違います」
「じゃあ、」
「…悔しいからです」
「なら大丈夫。純の受け売りだけど、今日が君の今季最低最悪の演技だっただけ。明日からまた頑張れば良いんだよ」
優しく頷く勇利を前に礼之がしゃくり上げていると、勇利のスマホからアラームが鳴った。
「丁度いいかな」とテーブルに置いてあった2つのレトルトパックを取った勇利は、その内の1つを礼之に手渡してきた。
「実家からそろそろ賞味期限だからって貰ったんだ。礼之くん、あれから殆ど何も食べてなかったでしょ?頑張るには栄養も取らないとね」
災害時等の非常食であるアルファ米の袋を開けると、思いの外良い香りがした。
「日本には、こうしたお米の保存食が昔からあったんだって」
「…伊勢物語ですね」
「良く知ってるね」
「学校で習ったので。『乾飯の上に…」
口中に含まれた旨味と温もりに、礼之の目から新たな涙が零れ落ちる。
「…美味しいですけど、少しだけしょっぱいです」
「白米じゃなくてわかめご飯だからかな」
そんな風に強がる後輩を、勇利は見守っていた。