第1章 三日月宗近の祈り
嘗て美しい桜を咲かせていただろう枯木を背に凭れ掛かり、地獄の様な景色を眺め観る。
真っ黒い瘴気がこの敷地内をのみ込み廃墟と化した本丸は、分厚い埃を被り床が腐り至る所からカビが生え、畳や屏障具には血がこびり付いている。
ここはすでに時の政府さえ立ち入れない程、瘴気が酷い。
審神者の人間など、一歩足を踏み入れただけで死んでしまうだろう。
付喪神とて神は神。 神が作り出してしまった瘴気だ。誰も近付ける筈などない。
つまり、ここは打ち捨てられた本丸だ。
ここに居た仲間は僅か7口。 今、人の形を保っているのは俺だけだ。
辺りに立ち籠める悪臭に鼻が馬鹿になり、思考も靄が掛かったようにボヤけている。
もう、指一本さえ動かすのも面倒だ。
元々世話をされるのは好きだが、ここまで無気力でも無かった。
審神者と呼ばれる人間が来る度、次こそはと思う気持ちが裏切られて行った… 。
だが、俺は良い人間がいれば悪い人間がいるのも知っている。
人の形を得てからよりも刀であった頃の方がずっとずっと長い。
折角、人の形を得たんだ。 出来れば良い人間に出会い、この人の形を楽しみたかったな。
歪む視界と頰を伝う熱さにいつの間にか自分が涙を流していることに気付く。
まだこの体も涙が流れるのか。
瞼を閉じれば目に溜まった涙が頰から滑り落ちていった。
もう瞼を開けるのも億劫だ。
瘴気のせいで浅くなっていた呼吸も止まりつつある。
薄れゆく思考の中で三日月宗近は無意識に祈りを捧げた。
一度で良い… この身で刀を振るいたい。
一度で良い… この人の形で良い人間に出会い、その人間の傍に生涯ずっとずっと一緒にいたい。
神という存在がいるなら、この本丸を…俺達を…助けてくれ…。
チリーーーン
耳鳴りと共に少し高めの鈴の音が頭の中に響く。
キーーーンという耳鳴りと鈴の音が止むと同時に瞼を閉じていても眩しいくらいの光が辺りを包み込むのを感じた。
眩しい光に堪らなくなり、鉛のように重い腕を無理矢理持ち上げて目を庇う。
三日月宗近は一体、何が起こっているのか分からず懸命に腕を持ち上げて眩しさに耐えた。
パーーーンッと良く響く音が間近で聞こえると同時に、今まで鉛のように重かった腕や体がふわっと羽が生えたように軽くなり、辺りの淀んだ空気が澄んだ空気へと一気に変わった。
これは一体…。