第1章 【雑賀孫市】雑賀の郷の夏祭り
「それでは巫女様、どうぞごゆっくり」
手際良く夕飯の支度がなされ、屋敷の使用人が頭を下げて去っていく。
「ありがとうございます」
孫市の屋敷で食事をするのは初めてではない。
今までも何度かここで一緒に食事をしたことがある。
二つのお膳を挟んで向かい合った千草と孫市は手を合わせて食事を始める。
孫市がお猪口を持つと、さり気なく千草が徳利を傾けた。
「ああ……悪いな」
お酒を飲める喜びのせいなのか、千草に酌をしてもらうせいなのかはわからないが、孫市の口角は僅かに上がっている。
「……この郷には慣れたか?巫女様」
「どうしたんですか?改まって……」
今度は孫市が徳利を取り、千草のお猪口に少しだけ酒を注ぐ。
「以前依頼された件だが……やはり夏の終わり頃になりそうだ」
「そうですか…」
依頼した件……
それは、巫女である千草が祈殿へ向かうまでの間、孫市に用心棒としてついてきてもらえないかというものだった。
「やっぱり伊達さんとのお約束があるからですか?」
現雇い主の伊達政宗の名前を出すも、孫市は首を振る。
「伊達の坊っちゃんはいいんだが……ちと野暮用があってな。早けりゃ祭りの後にはカタがつくかもしれないが……」
言葉を濁す孫市に、千草はそれ以上聞くのをやめた。
「式神にやられちまってた俺を助けてくれた恩は返してえんだ。……待っててくれるか、千草」
頷く千草の頬は微かに赤い。
「お前がこの郷を気に入ってくれて良かった」
「孫市さんのおかげです」
「俺の…?」
お猪口を飲み干した孫市が聞き返す。
「孫市さんの人柄が温かいから……とても居心地がいいんだと思います」
「……そんなことはねぇよ…」
照れているのか、孫市は目を合わさない。
「まぁ……とりあえず夏祭りは楽しめよ?」
「はい!お手伝いもしますね!」
はりきる千草は満面の笑みで頷き答えた。