第1章 彼女という女優について
そして、今ならまだ断れる、逃げられるというときに、なんだろうか、スカウトされたときと似たような気持になったのだ。
大学なら来年でも受けられるし、多少周囲に遅れても二十代の内なら新卒扱いされるって聞くし。
またとない経験なのだ。飛びついてみるのもありじゃないかな、なんて。
きっとこれが最後だと思ったから。これ以上大きな仕事は二度とないと考えたから。
私はその役を謹んで受けることにした。
急遽受験を取りやめることになって、今までにないほどの撮影やらそれにまつわる仕事やらにまみれたスケジュールをこなすことになって、最初は少し家族は眉をひそめたけれど、最後は応援してくれた。
学校側も、家庭の事情で極まれに就職する生徒もいたから、似たようなものだろうと諦めてくれた。一応は記録のためにセンター試験は受けたけれど、それだけで、あとはいつものようにクラスメイトよりだいぶ多い課題を持たされて帰された。
それから、幾星霜。
二十も半ばを過ぎて、驚くべきことに、まだ私は芸能界で息をしていた。
事務所に入ったころには、もうとうに仕事を辞めていると想定していた年齢だ。
人生とは不思議なものだと思う。
結局、映画は大当たりして、脇役とはいえ私も注目を浴び、それはそのまま仕事量に比例した。
翌年も大学に行くことはなく、私の最終学歴は高卒である。
いつか三十だか四十の年に干されたらと思うと夜も眠れないので、最近もっぱら弟にすすめられたいくつかの資格の勉強を進めている。
健やかな老後を過ごしたいので、路頭に迷いたくないのだ。
有名女優ではないけれど、よくドラマや映画を見る人が、「この顔知ってるかもしれない」と思ってくれる程度には、ありがたいことに仕事をもらえている。
私を知らない人の方が世の中多いだろうけど、一応は女優としての稼ぎで生活を安定させ、貯金をし、家族に心配をかけないでいられているのは我ながら奇跡だと思う。
収入が減りだしたら、時期を見誤らずに引退したいところだ。