第3章 【東京/四男/not腐/舞台共演】
すらりと均整の取れた肉体に、きりりとした顔、伸びやかな声。
こんなにも煌めく人が、舞台の上では見事に「かわいそうなワーニャ伯父さん」を演じ切っていた。
焼き魚をつつき、「ホッケの開き食いてぇな、ロシア産でいいから大きくてこってりの」「わかります」というやり取りをしながら、怖い人だなぁとしみじみ思う。
この溢れんばかりのオーラを、見事に別物へと変える才能。
本当に、こんな人がいるんだから、いつか私は仕事がなくなっても「まぁ、でしょうね」と受け止められる自信がある。
演じるならば指の先まで。
それが私の決めていることだ。
本来の話し方を、歩き方を、立ち方を、視線の運びを、全て覆い隠して、違う誰かになること。
この世界に綺羅星みたいに存在する、才能に恵まれ、その才能に適うだけの努力をしている人たちほどの輝きは私にはなかったから。
とにかく、技術を磨いた。
心理学の本を読んだりもして、与えられた役が自信家の美人だったりしたら内心(そんな役美人の女優さんに振ってくださいよなんで「まぁ、整ってる?」くらいの私に振るかなぁネットの反応怖すぎか、でもお給料になるのでありがたく頑張ります)とか思いつつも、美人特有の表情を研究したり、モデルさんが自然にとる綺麗な動作を真似たり、自信家にありがちな声の抑揚や顔つき、感情の変化を勉強した。
こういうとき、作家の身内がいると彼が集めた資料が役に立つのでありがたい。
前に刑事ドラマのゲストで拗らせたシスコン殺人犯役をしたときなんて、プロファイリングや犯罪心理学の本にすら手を出して犯罪者の特徴を役作りに盛り込んだものだ。
私にとって演技とは、これでもかと考え込み、作り込むものなのだ。