第5章 『風邪』
俺の知らない話。俺と出会う前のビーネの話。
大佐は、ビーネの小さいころを知っている。小さいころから今までのビーネを。
妙な敗北感。自分は到底ビーネにとっての大佐になることはできない敗北感。
俺は扉の前から、そっと立ち去り、わざと音を立てアルの待つ部屋へ戻る。
「あー、さっぱりした」
「ホテルに泊るよりなんか落ちつくね」
「そーだな。大佐の家だし」
嘘だ。本当はホテルの方が何も考えなくて済んだのかもしれない。
隣の部屋で、ビーネと大佐が仲良く話をしているなんて知らなくて済んだ。
深夜、わずかにアルフォンスが動く音以外何も聞こえない。
それが逆に落ちつかなくて、この家じゅうの音を拾おうと耳を澄ましてしまう。
どんな小さな音も逃すまいとしていた耳に、ほんの小さな音が入って来た。
隣の部屋の扉が開く音だ。床の軋む音もなんとなく聞こえる。
アルフォンスには聞こえていないだろう。本当に注意して聞いていなければ聞こえないぐらい小さな音だった。
俺は無意識のうちにベッドから降り、立ち上がっていた。
「兄さん?」
「トイレ」
とっさに思いついた言い訳がそれ。
夜だから。という理由で静かに部屋を出て、後はぬき足さし足忍び足。ビーネの後を追う。
「う、っわ。びっくりした。エドワード」
ビーネがいたのはリビング。喉が渇いたのか水を飲みに来ていたようだった。
「体調は?」
「ん。あぁ、だいぶ良くなったよ。まだ少しだるいけど」