第1章 *
道に並ぶ行燈の灯りが揺らめく中、吉原はひと時の夢を見せる幻想的な雰囲気に包まれていた。妓楼が数多く犇めく中、百合艶(ゆりえん)はひときわ輝くように夜を魅せる。この一帯ではどこよりも高級で甘い夢を見させてくれるその妓楼は、吉原へ通い詰める男達が一度は行ってみたいと口を揃えて願う妓楼でもあった。そんな妓楼の裏口から、一人の人間が静かに音もなく出て行く。黒い口布で顔の下半分を、珍しい銀縁眼鏡で上半分を覆い隠てしている様はとても堅気の人間には見えなかった。背はそれほど高くはないが、どこか中性的な雰囲気を醸し出す。彼とも彼女ともつかないその人間は口布の中で小さく嘆息し、吉原の外れへと足を向ける。足を進めるうちにだんだんと周囲の空気が変わり、道ですれ違う人間も男性から女性が多くなっていく。着飾った彼女らは決して女郎ではないのだが、浮き足経つように一つの妓楼へ吸い寄せられていく。
『桜』
それがこの妓楼の名前だった。ありふれた名前ではあるが、今や『桜』という妓楼で一番に話が昇るのはここ以外ありえない。常の吉原と違うところと言えば、男ではなく女が客という点だろうか。苦々しく眉を顰めながらも覚悟を決めたように店奥へと進むその人は、周りと比べて随分気乗りしない様子だった。
「ようこそ、桜へ」