第16章 十月十日~(婚姻の儀)
「わざわざ
名前や顔を伏せてるんだ
まさか覚えてないとは
思ってなかったろう」
「そもそも…三成ならまだしも
政宗さんが人の名や顔を
忘れるなんてあるんですか」
「時と場合によるだろう?
桜の夜の思い出に…だぞ」
光秀が意地の悪い
笑みを浮かべて
家康の喉にすぅっと
指を滑らせた
「…っ…酒…はぁ…
何年か前の花見の席で
光秀さんに謀られて南蛮の酒を
飲まされたことありましたね」
「あぁ…あったな…
あの時はひどい目にあった」
嫌な事を思い出し
思わず顔をしかめた
「城から御殿に帰る事すら
出来ずに城に泊まって…」
政宗が記憶を辿る
「翌日になっても
具合が悪くて薬草を煎じて
持って行った記憶があります」
「確かにあの晩は
城の女中達が世話をしていたな」
家康と光秀も
同じ様に記憶を辿る
「成る程…あの中の一人が
覚えておいででしょう?
とお前に挑戦している訳か」
光秀がにやりと
厭らしく笑った
「そうですね…覚えていれば
すぐにでも止められる」
家康が呆れた声で応える
「思い出さぬ限り
政宗は危険に曝される…が
政宗が女を思い出せば…
それは紛れもなく
女にとっての身の破滅…
それでもお前に
己を知って欲しい…
切ない女心といった処か」
「花嫁の命を狙おうなんて
雌狐に切ない女心
なんてあるんですか」
これ以上ない程の
深い溜息をついた家康は
隣部屋の褥の上で
苦しげに顔を歪める
喜多を
襖の隙間から覗き見た
「女の情ほど面倒な物はないからな…
まぁ…そこまで惚れられるのも
男冥利に尽きると言うものだ」
光秀が慰めるように
政宗の肩に手をやる
「喜多には災難であったが
白雪でなくてよかった…」
言いながら光秀も
喜多に視線を移す
「白雪だったら…解毒剤で
命はとりとめても…間違いなく
腹の子は駄目だったでしょうね」
「腕の自由も失って
絵を書く事も針子の仕事も
出来なくなるところだ」
政宗が言葉を失うなかで
家康と光秀が
喜多を案じながらも
白雪でなかった事に安堵する
もし…白雪だったら…
二人の放った言葉が
頭の中をぐるぐると駆け巡る
子を失い
片腕を失い
人形のように
生気を失った
白雪の顔が
生々しく浮かび上がる
「……っ」
思わず身震いした