第8章 現実
目を閉じれば鮮明に感じる、頬と髪を撫でる穏やかな風。
とても気持ちの良い朝。
ここ、シガンシナの街も本来ならば、穏やかな朝を迎えていたのだろう。
しかし今、街の大通りは異様な熱気で溢れている。
エマは通りを埋め尽くす喧騒を耳にしながら、隊列の先頭付近で待機していた。
壁外調査の際、持ち場は決まって前衛。団長のすぐ後ろに控える形となる。
「エマ。よろしく頼むぞ」
「はい!よろしくお願いします」
出発直前、馬に乗った所で団長に声をかけられた。
エマは団長を心から尊敬しているし、感謝している。エルヴィンと共に、この場所まで導いてくれた恩人だ。
キース自身は父のように厳しく、ちょっと抜けている所もあって憎めない人。そのように理解している。
もう一人の恩人はといえば、団長の横からこちらに穏やかな微笑みを向けている。仕方がないので引き攣った笑いを返せば、フイッと視線を逸らされた。
……少し腹が立つ。
エルヴィンは隙がなく余裕のある人。瞬間的に考えられる物事が他者と比べて多いのだろう。その一方で、なんとなく子供っぽいなと感じる面もある。
例えば今とか。絶対からかった。
「開門30秒前っ!!」
その声に、エマは邪念を振り払う。
程よい緊張感。
コンディションは良い。
団長の号令と共に、門が壁上の装置によって上昇してゆく。
僅かに開いた隙間から外界の空気が入り込み、通りに砂埃をたててゆく。
エマは、門が上がるこの時間が好きだ。ごちゃごちゃと考えを巡らせる事の出来ないこの短い時に、自分の『役割』を今一度確認する。
そしてその答えは、どんな時よりも明確に導き出される。
「前進せよ!!」
その声と共に、勢いよく馬の腹を蹴った。