第3章 【倉持洋一】Realize
倉持くんがここに来るはずがない。
きっと小湊先輩の冗談か何かだと思っていた。
けれど、やっぱり心のどこかにある少しの期待は拭えないまま、人の気配のする方に顔を向けたはずだった。
それなのに目の前に居るのは確かに彼で、何度瞬きをしてもその光景が変わることはない。
『倉持、くん?』
私が小さく名前を呼んだのが聞こえたのか、こちらを見据える倉持くんの体が揺れた。
走って来たからなのか彼の頬は少し赤く、私はなんの意味も持たないはずのそれを無駄に意識してしまう。
そのせいなのか、いつも遠くから見ているだけだった彼が近くに居るからなのかはわからない。
けれど、顔に熱が集まっていくことだけはわかった。
それをどうにか隠したくて、交わっていた視線を地面へと落とした。
お互い何も言わず、耳が拾うのはグラウンドから聞こえて来る声だけ。
本当に、どうして倉持くんがここに来たのか。
ここには私以外誰も居ないし、小湊先輩を呼びに来たわけでもなさそうだし、ボールが飛んで来た覚えもない。
彼が口を開いたのは、そんなことばかりが頭の中を廻っていた時だった。
「あ―――…、」
その声で倉持くんに視線を戻すと、今度は彼が明後日の方向を見つめていた。
後ろ頭を乱暴にかいて何か言い辛そうにしている倉持くんの瞳がもう一度私に向けられ、どこか真剣な色をしたその瞳に、胸が高鳴る。
「……アンタ、これくらいの時間にいつもここに居るよな」
私のことを知ってくれていたという喜びと、見られていたという恥ずかしさ。
それと緊張でどうにかなりそうなのを抑え込んで小さく頷いた。
「それがずっと、なんつぅか……気になってて」
徐々に赤みを増していく彼の頬と、だんだん小さくなっていく語尾に、有り得ない考えが私の頭の中に生まれる。
まさかそんなはずないって、数分前と同じような言葉で自分の馬鹿な考えを否定する。
上手く息ができなくて、今すぐこの場所から逃げ出してしまいたい。
この続きを聞いたらきっと、どうしようもなく期待してしまうから。
「…名前、聞いてもいいか?」
小さく、けれど確かに呟かれた言葉は自分にとって都合の良すぎるもので、思わず耳を疑う。
けれど彼の真剣な表情が、私に今までのことが夢じゃないと教えてくれていた。
**END**