第28章 運動会
あの時(897ページ参照)、リズベットがあれほどケイトに怒ってくれて嬉しかった。
おそらく、胸ぐらを掴んだ時に伝わってきたのでしょう。
25層ボス戦の時も、感情が流れ込んでくる感覚を疑似的に起こしていましたし(130ページ参照)
私もそっと背に触れた時、『死んで責任を取った方が』という無念や自責の念が
冷たくどろどろとしたような感情が攻め寄ってくる感覚が伝わってきた。
当のケイト自身、気付いてないようでしたが死にそうな顔をしていた。
とても痛々しい、どこまでも自分に向けられた感情ばかりで、それにしか目がいかなくなっていた。
それだけでなく、それ以外が全く視界にも映らず、耳にも入っていかず、意識さえも向いていなかった。
だからこそ、あれだけ叱責してくれたのですが…
何を視えていたか、感じていたかがはっきりと伝わってきたからこそ
それを汲み取った上で、あれほど叱ってくれた。
それはきっと、心から慕っているからでしょう。
それを垣間見たからこそ
私はそれが喜ばしく、より感じる嬉しさが増したのです。
殴られた傷から、殴られた時にぶつけられた念がはがれず
だからこそ、そのような沈んだ状態がひどく長かったそうです。
学校に通っていた折、そのような念が伝わって、
人に伝えることが苦手な代わりに、言いたくても言えなくてその想いが強まって
そういった環境から、今になってようやく伝わるようになったのでしょう。
苛まれて、泣きながら助けを求めるつもりで言った所で、どうにもならなかった。
そうしたことから、余計に『言った所でどうせ』という想いしかなかったのでしょう。
今でこそ、こうして自然に笑うことが多くなっていますが…
その笑顔を守りたいと願ってしまうのは、おかしいことなのでしょうか?