第25章 花見
日本においては、差別の対象となる。
普通の人とは違う点、それを日本人は嫌う傾向にある。
外国人には多少あるとしても、それは日本人ほどではない。
外国においては、『へぇ~、変わってるね』で終わるのですが
日本においては、『それは間違いだ、狂ってる』と差別の対象とする。
多人数に合わせなければ差別し、いじめに向かっていく。
ケイトもまた育った環境が特殊だった故、普通の人とは異なってしまい
それに伴う不利益の点だけを見られ、たとえどれほど傷付けてもそれは間違っていないと主張してくる有様だ。
いじめられていた当時、彼等は悪いことだと認めず、止めようともしなかったのだから
彼等にとって、異物を傷付けるのは心を痛めないし、普通のことなのだと思っていたのでしょう。
そして周囲は巻き込まれまいと距離を取る。
稀に助けようとする方もいるでしょうが、私とケイトの前には現われなかった。
はっきり言うと、人数が多い方へ流れ、小人数がいじめられるそれを助けようとしない人の方が大多数を占めているようにも思えます。
と言っても、私の実体験からの考えですが…
人と違うことをからかい、人を見下すことで優越感を得ようとする、そのような『いじめ』は最低な行為です。人として。
そして、それを変えるには社会全体でいじめや差別を許さないという態度を示さなくてはいけないのではないでしょうか。
いじめられるからするべきではないというのではなく、いじめや差別を許さない社会づくりが必要なのだと思います。
といってもそれこそが主な日本人の傾向であり、子にも嫌な思いをさせてしまうかもしれない。
そのような想いもあるのですが、一番大事なのはやはりパートナーとなるケイトの想いでしょう。
そう考えを纏めた後、私は直接伝えることにした。