第22章 異変
これは後に聞いた話なのですが
他にも態度が人によって違うなどのことで嫌っていたそうです。
というより、話す相手によって態度が違うのは当然でしょう!
父親と母親、友達、恋人、先生、恩人、初対面の人、それぞれで態度を変えるのは至極普通のことです。
どこまでやっていいか等の距離感、経験、共に過ごした時間、
それらが伴ってようやく親しく話すことができるのでしょう。
だというのに、何ですか?
話しかけられないような状況を作っておいて
巻き込まれたくないと距離を取る人達を増やしておいて、話しかけることさえもできないようにさせておいて!
同級生に話しかけられない、質問は先生にだけしている、先生と話している時と態度が違う?
そんなのは当たり前でしょう!!!!
そういう環境でずっといたのだから、いきなりできるようになれ、普通になれという方が無理に決まっている!
寧ろ、そういう普通になるよう仕組んでおいた人が求めることですか!!!?
そう声を大にして言いたい衝動に駆られる中…辛うじてそれらの要点を纏め、掲示しました。
『PS:人の振り見て我が振り直せ。あなたにもできていないことを人に求めるな』という追伸も付け加えて。
その件を通して…
やはり…いじめっ子とは相容れない存在だと、私は深く感じ入りました。
その後で、私をいじめていた子の件をケイトへ話した時
『殺してやる』と殺意を露わにしてくれたことが嬉しかったわけなのですが…
ケイトもまた、喜びながらも複雑な思いに駆られていたからこそ虚しい心境になったのでしょうか?
責めた所でその後遺症は変わらないし、ケイトの身に未だ残っている障害も消えない。
私の場合はケイトの事情や、それによる弊害もよく知っているからどうしても彼女寄りになってしまいますが…
いじめられた人の誰もが同じような懸念を抱いているような気がします。
ことに、いじめを苦にして自殺を図った人達は特に。
『少しでいいから…
自分の怒りや憎しみを吐き出して欲しい。
それで潰れてしまうよりは、その方が……
私が、何度でも受け止めるから』
そういった経験を経て…
気付けば私は、ケイトへそう望んでいました。