第12章 学び
互いが互いの幸せのために尽力し合えれば、誰もが幸せになれる。
それが当たり前に出来るようになればきっと『真の平和』は成り立つだろう。
自身から見えるものにとらわれることが人には非常に多く、人の為に動くことが自身の為にも繋がることを自覚していない人もまた非常に多い。
だが、それらを実行した時…『真の平和』が訪れるだろう。
不幸があるからこそ、幸せがある。幸せがあったからこそ、不幸がある。
それらがあるからこそ、欠かせない大事なものを得る。
過去は変えられない、起こったことは変わらない。
その死も、痛みも、傷付けられたことも、殺されかけたことも、幾多の苦しみや哀しみまでも…
大切なのは、それらとどう向き合い、乗り越えていき、次の学びへと、己の糧へと変えていくかだ。
そして互いのために動き続けたその先は、大きく変わるだろう…
遠い未来の先、誰もが幸せになれる未来へと……
そう、思っていた。
死刑執行人のことは、その役割による殺しは、頭の中から省かれていた。
遠い昔…神は私を生かした。
父から殺されかけていた私を…
それはきっと、これらの学びを教えるために
教訓を与えるために生かしたのではないだろうかと、私は思った……
死刑執行人…
それは、誰かがやらなくてはいけない事。
死刑が存在する限り、その苦しみはついて回る。
だからこそ、この自身を責めようと湧き上がってくる
『とてつもない苦しみ』を我慢するしかないのかもしれない。
信頼する人にぶつけ、頼るのもありかもしれない。
でも…それだと、その命の重さに失礼に思えてできない。
それが、自分という在り方なのだとその時に分かった。
学び、少しずつ成長し、生きていく。
たとえどれほど痛くとも、自分という在り方を見出し、完成させていく。
未熟なものから、少しずつでも自身の納得する形を見つけ出していくものだと、私は学んだ。
そして、私の納得する在り方とは…
たとえ何であっても、その命の重さを常に自覚するよう促し
どんなことをされてもなお、人の為に動ける人間だ。
その日の夜明け…
私はその信念を貫くために最期の瞬間まで生きようと、日の出に誓った。
その眩しさに、命の瞬きと重ねながら……