第12章 学び
例を言いあげてみよう。
ある人の家族には、病気の人がいた。
その人は何度も何度も泣き叫んでいた。その痛みから死にたいと何度も叫び続けた。
そして「殺してくれ!」と何度も嘆願された。
身を引き裂かれるような思いに駆られつつも、「その苦しみ続ける様を見たくない、これ以上苦しんで欲しくない」との結論に至る。
長年の想いを経て、何年も悩み続けて、その思いを汲んで、その幸せを願って「殺し」に手を染めた。
その場合だと、非常に罪の重さが変わってくる。
悩みの時間が長ければ長いほど、相手のことを考えれば考えるほどそれは少しだが軽くなる。
しかし殺しは殺し。それを自覚し続け、二度と繰り返さないよう生きていかなければいけない。
そこで取るべき行動は、寄り添い、痛みを分け合うべきだったのだと思う。
なんにせよ、どんな理由があったとしても殺しはしてはいけない。
ましてや、自身にとって不快な状況へ陥れた責任を、人へ押し付けて殺すこともいけない。
自身がそれを避けられるよう、行動も努力もしていないのに
「行動しない」という行動を実行したのに、間接的な要因となった他者を責めて殺すのは御門違いだ。
その場の怒りに駆られて誰かを殺すこともまた、もってのほか。論外だ。
してはいけないという意味で。
何かしらの責任自体、人ひとりに押し付けていいものではない。
その行動をとった時点で、その本人には責任を伴う。
その結果が何であれ、その行動の責は本人にも僅かながらにあることを忘れてはならない。
人を殺す、傷付ける、嫌な思いをさせる、などなどのことを行えば
魂は汚れ、黒くくすんでいき、死後において行かされる場所が「地獄」へと近くなる。
それを何とも思わず繰り返し続けていくと、取り返しのつかない事にもなりかねない。
それらのことを、教えてもらった。主護霊に、大事な欠かせない存在達に…
今の自分に至るまでに必要なことは、それらの環境から出会い、全てのものによるものだ。
生きていちゃいけないという環境だった。だからこそ、痛みを与えられる気持ちを知った。
だから…人を大切にしなければいけないという、本当の意味を理解できた。
誰かに味あわせていいものではないと、教えてもらったから…