第39章 親になる前に
その次の日、お爺様に聞いてみた所
兄が一人おり、自分は末っ子だったとのことでした。
兄は非常に運動が不得意で鈍く、自分の方が武術を継ぐに値すると判断されたそうです。
今年の12月28日に97歳の誕生日を迎えます。
徴兵対象者拡大の際、学徒出陣ということになったのは
文科系学生で学校からの推薦によって軍に目を付けられて学徒出陣に参加するよう、直接家へ文が来たからだと聞いています。
1943年秋から1945年秋まで駆り出されていたらしく、お爺様は当時14歳から16歳だったそうです。
先の大戦の折に人種の差別なく、戦場を駆け回って助けられる人を助けて回り
国同士の戦争にも関わらず、殺すのも忍びなく「殺さず」を貫き、部隊から抜け出して沢山の人を助けていたらしい。
その折、外国人と知り合い…恋に落ちた。
帰ってきた当初、戦死扱いされていたそうですが、帰った当時は周囲に驚かれながらも喜ばれたそうです。
80年前の秋に無事帰ってきて、当時16歳のお爺様は自身にとって家長とも言える祖父に、お婆様との結婚を赦してもらって婚約に至りました(1034ページ参照)。
ただ、慈悲という家訓のままに家の地下で怪我をした人(外国人含む)の治療をし、外国人を無断で匿いつつ治療を手伝ってもらっていたのもまた、結婚を当初は反対したお爺様の祖父だったそうです。
クレハ「それにしてもケイト」
ケイト「ん?」
クレハ「私の流派は一子相伝ですが、果たしてどうしましょう?」
ケイト「うーん。
お爺様に聞いた限りじゃ大丈夫そうだよね。
最終的には1945年に兄まで徴兵されて戦死したって壮絶過ぎるんだけど;父親も戦死してるし;」
クレハ「そこは時代だから仕方ないでしょう;」
ケイト「なに一つ胸張れない;ひどい人達の方が多い;
生まれ変わってきてくれた時、幸せを感じられないんじゃって考えたら…」ずううううん&じめじめ
クレハ「そこは避けられないことでしょう。いつの時代も理不尽は付きまとうものです。
要は、それとどう向き合って立ち向かっていくか。
それこそが人生の道において大切な岐路となるのですから」