第34章 アメリカ到着
ケイト「私はね…
クレハがあぁ言ってくれるまで、自分を信じる心とか持てなかったんだ。
持っちゃいけない、抵抗しちゃいけない、
心自体を消さないと、消えないといけない、
自分には、自分が傷付くことや死ぬことしか望まれなかった。
そればっかりだったから、そういう経験の方が今までの人生という時間の中で大部分を占めていて
本当に…遥かに多かったから…余計に、心なんてものを失うばかりだったんだ。
楽しい時や嬉しい時にはそりゃ感情が出たりもするけどさ…怒りとか哀しいってのが消えていって…
それが当たり前だったから、あぁなっちゃったんだよ。
自分が傷付いたり殺されかけたりする中、皆は我関せずに笑ってた。
それぞれの日常を謳歌して、青春とやらを堪能し切ってたさ。
傷だらけになった状態で泣きながら助けを求めたって知らん振り、一日限りのことなんて誰も覚えちゃいない。
警察に駆け込んだ所で、親が子供のいたずらだと言えばそれまで。
DVが悪化するだけで、なんの改善にもならない。
だから…こう思い込むしかなかった。
『自分が痛めつけられれば、殺されかけられれば、傷付けば、それが皆にとっての幸せで、喜ばしいこと』だって。
前(659ページ参照)に言ってたのは、そういうことなんだ。
だからね…クレハには、本当に感謝ばっかりなんだ。
どんな台詞でも心が、あったかい気持ちがこもってて…心を取り戻せた。強く持ち直せた。
何より…自分も信じて、頑張れたんだからさ^^」510,720ページ参照
クレハ「……そういうことだったのですね」
ケイト「うん…
だからさ、いじめっ子やそれらは気にしてもしょうがないことだってわかったよ。
どうせ今も、子供や配偶者にいじめられる私が悪いんだって言い聞かせるんだから。
謝った所で悪いなんて思わないだろうさ。
実際に子供がいじめられなきゃ、そういう気持ちはろくにわからない。
だから、お爺様の刑罰が最適だと思うよ。
何が悪いのか、自身のその行為でどういう想いをするのか、どれほどひどかったのか…
VRでいじめっ子の言う「赦されて当然だという行為・いじめ」を思い知ればいいと思うから。
あの教会の子(703ページ参照)だってそうだったし、されなきゃその痛みは解らんよ」