第34章 アメリカ到着
爺「たとえどんな命であれ、その命無くしては生きていけぬものじゃ。
食事をする時、いただきますと命を無くし身体だけ残した者へ合掌するのは感謝を込めて。
もし自らの意思で食する気もないくせむやみやたらに殺せば、それはただの「暴虐」じゃて。
ラフィンコフィンのような快楽殺人者なら、その者達が殺すはずであった人達の命を痛んでの行為じゃろう?
ならばお主等は悪くはない。
じゃが、それで背負わなくていいという理由にはならん。
一つの命が今ここにあるということは、それまでに捧げてこられた命があってのことじゃ。
命と命が出会い、育み、生まれ、また出会い、絆を紡ぎ、繋がり、新たな命が…
そうした何年にも渡る結晶、それらがお主等じゃ。
誰もが、この世に生きる全てが、それらの結晶なんじゃよ。
その背負った命を、なかったことのように振る舞ってはならぬ。
自ら殺したのならばなおさらじゃ。
それを主等はちゃんと解っておる。
わかった上で、それを忘れまいと、背負い続けてその分まで生きていこうとしておる。
あって当たり前のものなどおらぬ。
お金だってそうじゃ。
先祖、両親、祖父母、たくさんの人々が子供の為に、孫の為にと必死に働いて稼いだ金じゃ。
そして肉や野菜、食べ物もまた同じ。
仕事と称して食べる為に必要となるものへと変えておる。
人は決して一人では生きて行けず、どこかしら知らぬ人とも繋がっておる。
じゃからこそ、物も人も大事にせねばならぬ。
一つとして自然と出来上がることなどないし、傍にあるもの同士で影響を受け合い、一つしかない形となる。
そしてまた繋がって行き、新たな命が…
物、人、この世にあるその全てに「重み」があるものじゃ。
古い縁からの繋がりが、どこかしらに繋がっておる。
だからこそ、わしの家の家訓は「慈悲」とされておる。
その意味を忘れず、どんなに驕った人であろうとも、暴力的な人であろうとも、決して粗末に扱ってはならぬ。
じゃが祖先からの贈り物、お金や土地にまで手を付けたならず者は放り出したがの」ぷんぷん
クレハ「お父様のことです;」汗
ケイト「なるほど…;」汗