第16章 恋知りの謌【謙信】湯治編〜 恋心 〜③
「信長様。お戯れはそれくらいに。まだ確認事項が残っております。」
秀吉が、一度安土からの使いの者達に視線を向け、また信長に視線を戻すと、
「…ふん。わかっておる。」
信長は、つまらなそうな顔で美蘭の顔から手を離した。
信長から解放された美蘭を見て、安心したように、良かったな…とでも言っているような優しい笑顔を美蘭に向けた秀吉。
「…っ。」
その、安土でいつも兄のように世話を焼いてくれていた時と変わらぬ秀吉の、自分に向けられた笑顔に気づいた美蘭は、
にこりと笑顔を返して、無言ではあるが、信長の行き過ぎた冗談から解放してくれた秀吉に感謝の気持ちを伝えた。
(謙信様は秀吉さんに気をつけろ…なんて言っていたけど。秀吉さん、変わらないな。やっぱりお兄ちゃんみたい。)
「今暫くかかる。そこで羽織のほつれを縫っておれ。」
ため息混じりにそう言った信長の視線の先には、羽織がたたみ置かれていた。
「昨日鷹狩りで、木の枝に引っかかり破けてしまわれたらしい。まだ打ち合わせは終わらぬから…その間縫っていてくれるか?」
秀吉が付け加えて説明してくれたが、
「はい…。あの…でも、ここにいたらお邪魔なのでは…」
敵軍の将と恋仲になった今、自分はこの場にいてはならないのではないか…と思った美蘭が、躊躇いがちにそう呟くと、
「…ふ。安土ではいつも軍議に出ていたではないか。」
「ほんと今更。」
「美蘭様が邪魔になる訳がございません!」
光秀、家康、三成が、いつもと変わらぬ調子で言った。
「貴様に聞かれて困る話などない。久々にその腑抜けた顔を眺めていたいのだ。そこにおれ。」
「…な…っ…!」
信長の皮肉めいた言葉に、思わず単純な反応をしてしまったものの、久々にこうして皆んなで一緒に揃えたことを、信長も喜んでくれていることが伝わってきた。
「今日の茶菓子は美蘭の好物だぞ!」
そこへ政宗が戻り、何人かの家臣が、お茶と茶菓子を配り始めた。
美蘭に向けられた武将たちの笑顔。
それには歓迎の意以外、何も含まれていなかった。
「では…ここにいさせていただきますね♡」
美蘭は信長の隣に座り、政宗の手作り菓子を味わいながら、羽織のほつれを縫い始めた。