第9章 恋知りの謳【謙信】湯治編 〜月夜の宴〜
「…夕餉まであと一刻か。佐助、着いて参れ。」
謙信はそう言って立ち上がると、
「吹田軍の鍛錬場に、少し身体を動かしに行く。夕餉までには帰るから…良い子にしているのだぞ?」
そう言って美蘭の額に口付けを落とした。
「はい。」
美蘭の返事を聞くと、満足そうに目を細めた謙信は、佐助を連れて部屋を後にした。
離れを出て、少し歩くと
ジャキィーーーン!!!
久しぶりに謙信は鶴姫を抜き、佐助目掛けて斬りつけた。
「…お前だな?安土の輩に湯治の情報を漏らしたのは!」
ギリギリと押し付ける鶴姫の刃を、いつものごとく短刀で押し返しながら、佐助は淡々と答える。
「漏らしたんじゃありません。お知らせしたんです。」
「…!何だと?!」
カッ!と怒りをあらわにした謙信の腕に、更に力が込められた。
交わる刃の隙間から、佐助は謙信の目をしっかりと捉えながら、更に淡々と続ける。
「美蘭さんは謙信様の心を優先して何も言わない人ですけど…安土でお世話になった人達に挨拶も出来てないんです。美蘭さんが何も思ってない訳ないと思ったんです。」
「…!」
「せめて武将の方々にくらい…と、あの方達が多忙なのは承知でこの湯治の予定を知らせました。まさか全員、都合をつけて集られるとは思いませんでしたけど。」
それは、それだけ美蘭が安土の武将たちに大切に思われているという証。
「…!…それが腹が立つのだ…ッ。」
胸が焦げるような感情に突き動かされ、更に手元に力がこもる。
その時
「おい。ここは中立の地ぞ。刀をおさめろ。」
甲高い声が、謙信と佐助を制した。
謙信は眉間に皺を寄せ視線だけ声の方向に向けた。
「…椿か。」
それは、吹田の娘、椿だった。
「さっさと収めんと、人を呼ぶぞ。」
「椿様、私共のこれは共に逆刃。殺意はありません。」
「…は?逆刃だと?」
謙信の溜め息とともに、刀に込められた力が抜けたので、佐助は姿勢を正した。
「謙信様はいつもこうしてわたしを鍛えて下さっているのです。ご挨拶遅れました、謙信様の忍び、佐助と申します。」
「…逆刃でも刀は刀。鍛錬は鍛錬場でやれ。」
「はい。今から伺うところです。」
「…そうか。」
佐助には、
椿の頬が少し紅潮したように見えた。