第15章 はぐれた心の先に…(6)
「家康様〜〜」
後ろから俺の名前を呼ぶ。
その耳障りな声に一層歩く足を早める。
やっと地獄のような顔合わせの期間が終わり、築姫は明後日には一旦国に戻る。
なのに……
ーー正室ともなる私が!信長様にお会いせずままでは、国には戻れませぬっ!
まだ、正室とも婚姻を結ぶとも俺は言ってない。
けど、一刻も早く帰って欲しい。
そう思って仕方なく今日、安土城へ連れて来た。正式に取り次いでなかったので案の定、信長様には会えなかったが、
ーーこれは、これはわざわざ美しい姫君直々に来て下さるとは……。
けど、代わりに取り次いだ秀吉さんがわざとらしい文句を並べてくれたお陰で、築姫も満足したらしい。
「家康様〜〜」
(……ほんと、しつこい)
俺は諦めて一旦足を止め、
駆け寄ってくる築姫に向き合う。
「……もう、あんたの用は済んだから先に帰って、って聞こえなかった?」
「嫌ですわっ!家康様と一緒じゃなければ帰りませんっ」
本当に面倒な女。
俺は内心かなり苛つきながらも、こんな所で騒がれて万が一ひまりに気づかれでもしたら……
「……俺はまだ当分戻れない。それに仕事の邪魔されるのが、一番嫌なんだけど」
「ですけどっ!」
「……正室になるかもしれない人が、仕事の邪魔するわけ?」
あえて強調するように言った、「正室」という二文字が効いたのか、築姫はしぶしぶ返事をすると来た道を戻って行く。
俺は安堵の溜息を吐き、少し足を進めた所でふと、視線を庭先へ移すと……
(……っ!)
木に寄りかかり、
スヤスヤ眠るひまりの姿が見えた。
俺は無意識に音を立てないようにそっと近づく。
ひまりに会えた喜びと、もし目を開けたらと思う不安が、俺の中でぐるぐると駆け回る。
(……泣いてたんだ)
うっすら目元に残る涙の跡。
そっと指先で触れる。
「んっ……」
小さく身動ぐひまり。
俺は慌てて触れていた指を離す。
「っん……い…え……やす」
目を閉じたまま、
寝息と混じりながら、
ひまりの口から溢れた俺の名前。
そっと、その唇に触れる。
そして、指の裏でなぞると
ゆっくり、自分の唇と重ねた。
まさかその様子を、築姫が見ているとも知らずに。