第10章 Love Me Tender(白布賢二郎)
「あのさぁ、まだ好きなの?その人のこと」
手持ち無沙汰で投げた質問を受けて、桐谷は首を横に動かした。
「もう好きじゃない」
「嘘だろ。泣いてんじゃん」
「これは、懐かしくなっただけです」
「懐かしいと泣くのかよ」
「そうだよ」
桐谷はゆっくりと首をもたげた。黒髪の隙間から白いうなじが覗いている。彼女は澄んだ水膜の張った目で宙を見据えて、こう言った。
「懐かしいっていうのは、最強の感情なんだよ」
白布は何を言えばいいのか分からなくなる。それでも頭の隅では、泣きそうな女の子ってどうしてこんなに抱きしめたくなるんだろう、と考えてしまう。
居酒屋でわんわん泣いていた五色のことを思い出す。あいつはすごい泣いていた。少なくとも痛々しくはあったけれど、それ以外には見苦しいなぁくらいしか感じなかった。五色は男だし。後輩だし。あいつはフられたばかりで、心の傷が新しすぎるせいもある。
「じゃあ桐谷さんは、もう好きじゃない相手のことが懐かしくって泣いてるわけだ」
「そう。バカだよね。好きだった頃の気持ちだけ、急に思い出しちゃったみたい」
「もう好きじゃないのに?」
「もう好きじゃないのに」
変だよね。ごめん、と桐谷は言った。「今更この気持ちが生き返ったって、行く宛てなんてないのにね」
「宛てがないなら、俺のところにくるとかはどう?」
思わず投げやりにそう言っていた。桐谷は初めて白布の存在に気が付いたように、まじまじと見つめた。
「……きみ、名前なんて言うの?」
グサグサッ!と白布の心に矢が連続で刺さる。
「やっぱり、知らない?俺のこと」
「どこかで会ってた?同じ学部?」
「そう」
「同じ学年」
「正解」
きみは俺の名前を知らないし、 俺はきみの考えてる男の名前も顔も知らない。っていうか、俺だってきみのこと、顔と雰囲気で好きになったんだった。ごめんね。お互い何も知らなくて。