第10章 Love Me Tender(白布賢二郎)
霧の向こうに 誰がいるの
耳をすませば 声がする
優しく愛して 誠実に
きみのすべてを ぼくに見せて
*
午前10時30分。2限がちょうど始まった時間に、白布は大学の正門を通過した。
肩に提げているトートバッグには、今日の正午が提出期限のレポート用紙が入っている。授業の課題として出されたのは二週間も前なのに、部活とバイトに追われて昨日まで存在をすっかり忘れていた。綺麗な白さを保っていたそれに手をつけたのは深夜で、すでにカレンダーの日付は今日に変わった後だった。
夜を徹して慌てて課題を仕上げるなんて。情けないやら格好悪いやら。でも落ち込む前に数時間でなんとか人に見れられるレベルまで体裁を整えなくてはならなかった。一人暮らしの部屋でコーヒーを何杯も淹れ、静かな夜に頭を何度も叩きながら机に向かった。指定されていた分だけの文字数が紙面に埋まる頃にはカーテンから朝の気配が滲んでいたけれど、1日の始まりの空気の流れを一旦無視して少しの仮眠だけとって家を出てきた。
電車の中でつり革を片手に何回も意識を飛ばしかけたけれども、大学に着いた今、やるべきことは決まっている。まずは教務課に寄ってこのレポートを教授の提出BOXに投函すること。そしたら午後の授業は単位確定。それができたら、既に授業が始まってしまった2限の免疫学の講義へ出席。
目指す教室は東西に長いキャンパスの中央にある大講義室なので、教務課を経由したら歩いて8分。急いでも5分はかかる。
でも朝から走るつもりはない。
(シャワー浴びたばっかなのに汗かいたらヤだし)
キャンパスの中を進む足取りは悠々としている。遅刻と分かっているけれど、心は至極穏やかだ。課題が間に合った達成感なのか、単に寝不足で焦るパワーも残っていないのか。白布本人にもよくわからない。
(むしろ、こんなに眠いのに出席するだけ偉いんじゃね)
そんな風にさえ思考していた。