第9章 まだだよ(澤村大地)
「夏がくるね、澤村」
「その前に梅雨だけどな」
「夏のまえの夕暮れって、なんかちょっと寂しいよね」
「おー、わかる」
「胸がきゅっとなるよね」ノスタルジーだよね、とあたしは理由ばかり並べた。澤村、と呼びかける。
「夏が終わっても、バレー続けてよ」
感情を込めないように口にしたあたしの願いに「お、おう」と澤村はよそよそしく返事をした。
「澤村には、ずっとバレーしててほしいよ」
バレーボールだけ見ててほしいよ。
急に泣きたくなって、澤村の後ろから、あたしはそっと彼の両目を手で覆った。だーれだ、とやるみたいに。
「え」と澤村が困惑した声を出す。「何?いきなり」
「何でもないです」嘘です。「しばらくこうやってから目を開けると、世界が広がる気がするんだよ」
「また謎の理論か?」抵抗する気がないのか、澤村は微動だにしない。
「外で目を閉じるって、懐かしい気持ちになるよね」
「……そうか?」
「目隠し鬼とか、缶蹴りとか、やらなかった?」
「小さい頃はな」
「またやりたいよね。かくれんぼとか」
「桐谷とかくれんぼしたことないけどな」
「そうだね。あたしたち高校で知り合ったんだ」
あたしはほとんど、足下におきっぱにしている炭酸水に話しかけていた。そういえば、かくれんぼの絵本があったな、と頭の隅で思い出す。親戚の子にせがまれて、読んであげたことがある。
見開きで1行ずつしか書かれていない、文字の少ないその絵本を、あたしはできる限りゆっくり声に出して読み聞かせたのだ。
もういいかい
まあだだよ
もういいかい
間延びした調子で読んでいる間、親戚の子は静かに絵を眺めていた。あたしに目を隠された澤村も、スイッチが切れたみたいにじっと座ったまま動かない。
「夏がくるね、澤村」とあたしはもう一度、誰にも聞こえないくらい小さく言う。
こうしている間にも、刻々と夜は近づいてくる。澤村の言う汗なんて、何ひとつ気にならない。蝉や虫の声もしない。静かな境内で、瞬きするのも、呼吸の音すら、止めたくてしょうがなかった。
『まだだよ』