第1章 恋とウイルス(縁下力)
『家へ帰りましたら 手洗い うがい 消毒を』
『緑茶のカテキンには殺菌効果が』
『歯磨きも風邪予防になります』
ウイルスから身を守るための情報を目でたどる。他にも、発症までの潜伏期間や、初期症状などが詳しく綴られているプリントを、わたしはホチキスの針でひとつにとじる。
紙を3枚重ねてパチンとするだけ。簡単なお仕事である。
出来た束は右側に積む。左側の紙の山から、プリントを3枚取る。止める。パチン
出来た束は右側に積む。繰り返し。
机の上には、大量の紙の山が出来上がっている。作業を始めてからだいぶ時間が経ち、ようやく半分ほど処理できたところだろうか。全てさばき終わる頃には、外は真っ暗になっているのではと不安に襲われる量だ。
教室の窓からは、うららかな陽光が差し込んでいる。暖かい色の光の線が、空中に浮かぶ微細な粒子に反射するのをのんびりとした心地で眺めた。5月に入り、日も長い。
向かい合わせの机に座っている縁下先輩は、わたしと同じ作業を、文句も言わずさらさらと進めている。てきぱきでもなく、のろのろでもなく。さらさらさら。わたしが手を止めると、先輩のホチキスの音だけが教室に響いた。パチン。
紙の角を指で揃えることに拘っているのか、先輩の作る資料は女優さんの髪の毛みたいにつるんと滑らか。その丁寧さが遅れとなって、出来上がりを乗せていく資料の山は、わたしの作る山のほうがほんのり高さで勝っていた。先輩の眠そうでとろみのある目は、集中しているようにも、気怠そうにも見えて、つまりなんだか、よくわからない。
さて、いつ、どうやって話しかけるのがベストだろうか。
考えながら、わたしもホチキスを握り直す。
『マイタケには 免疫力を高める効果があります』
近ごろ宮城の一部地域で、季節外れのウイルス性感染症が流行っているらしい。隣町では学級閉鎖も起こる事態で、烏野高校は、明日の全校集会で生徒に向けた注意喚起を行う予定だ。各クラスが教室に戻った後、この気合の入った保健だよりが配られる。そのための、全校生徒 全員分の資料作りを、わたしと縁下先輩は行っている。たったふたりで。