第2章 石鹸玉の内側へ(佐久早聖臣)
色の違う小さなペットボトルを二本 指でぶら下げて戻ってきた聖臣は、そのうちのひとつを、すごくすごく大事そうに私の両手の中に収めてくれた。それは私のためなんかじゃなくて、私を傷つけたくない聖臣自身のためにやっていることだと、私は知っている。彼はおびえているのだ。
熱を持った液体は身体の内側だけを温めてくれる。皆どこか面倒な人で、さみしがりやで、大事な相手に気をつかって、つかわれて。壊さないように どうにかして歯車を噛み合わせてる。私たちはまだ、噛み合う前の時間にいるだけなんだと、そう思う。他人と関わるのは面倒なのに、一人でいるのは寂しいんだ。だから私は一緒にいる。聖臣の手を握ってあげる。怖がられないように、そっと。
寒いね、と零すと、曖昧な音の返事をしながら、聖臣は座り直して、私に少し近づく。中途半端に空いた肩同士の空間がもどかしくて、私もほんの少し、聖臣のほうに身を寄せる。でもこれ以上近づいたらだめな気がして、何か大事な世界を犯してしまうような気がして、待っている。彼は明確に線を引いてる、彼と、そのほかと。
曇り空の夜明けは、世界が全部青になる。
空を見上げる。吸い込まれるように上へと飛んでいく しゃぼん玉を思い浮かべた。内側と外側の狭間で、虹色がゆらめく薄膜干渉。そのきれいで はかないところに、自分は居るような気がする。
「私も しゃぼん液の内側に入りたい。」
え、と こちらを向いた聖臣の肘に手を添えて、マスク越しに短いキスを送った。彼は小さく驚いて背中を丸める。困ったような眉をして、マスクを直そうと人差し指をひっかけた。けれどそのまま、あごの下までずらすと 直接くちびるを重ねてきた。
冴えた朝の空気の中、人の温度はこんなにも暖かいのか、と私は驚く。少しの間のあと、聖臣は、私の名前を口にする。琴葉、と。優しい声で。
『石鹸玉の内側へ』