第1章 恋とウイルス(縁下力)
いちごを買ってください、なんて子供じみたこと、とてもではないが言えなかった。
顔を逸らして隠そうとするわたしを見て、縁下先輩はにやりと笑った。
「ほう、口に出して言えないことか」
「そういうんじゃないんですってば。先輩の変態」
「だから、そういう反応する方が ど変態なんじゃないか」
ど変態、という言葉にちょっと興奮する自分がいることは認めよう。
「言ってごらんよ。ケーキをおごるくらいならできるよ。知ってる?こっから5分くらいのとこに、新しい店ができたんだって」
「ルール違反です。プライドが許さない」
「強情だなぁ、桐谷さんが勝手に作ったルールなのに。じゃあ、頑張ったごほうびってことで、俺からごちそうさせてよ」
「先輩に借りを作るのはこわいです」
「おぉ、少し賢くなってる」
くだらないことを言い合いながら、わたしたちは並んで歩いた。話がまとまった訳でもないのに、足は自然と家とは違う方角へ向かう。人の行き交う通りを抜けて、歩道橋の上から、どちらが早く一番星を見つけられるか競争をした。遠くを走る電車を眺めた。
じゃあ、こうしよう、と縁下先輩はお店のドアの前まで来ると、提案をした。
「普通に、一緒にお茶でも飲んで話そうよ」
おいで、と手が差し出される。素直に応じ、悔しくなって、わたしは生意気な口をきく。
「いいんですか。今の先輩、全く脱兎の勢いじゃないですよ」
「まだ覚えてたのか、その話」
「最初は、相手に警戒させないで、ある地点で一気に攻める。でしたっけ?」
「それができたら良いなと思っている」
先輩は笑ってはぐらかし、ドアを開けた。この人は、案外肝が座っているのかもしれないと、わたしはようやく考える。
自分でも、なんとなく気がついていた。
あの4月の自己紹介の時からすでに、それはずっとわたしの中で、根付いてひそかに潜伏している。
気付いた頃には手遅れで、もうじき発症するだろう。
内側から少しずつ、少しずつ、
わたしの世界は、淡く桃色に侵食されつつあるのだ。
『恋とウイルス』