第3章 肘かさ雨
それは丁度一年前の雨の日だった。
左手に傘、右手には白杖を持ちながら恐る恐る歩く雨の日。雨の冷たさを肌で感じることしかできない私は、雨とはどんな色をしているんだろうと思っていた。
水は青、植物は緑、石は紫、蜂蜜は黄、桃は人の肌、そして赤は太陽の色だと沢山の書物の中に書いてあった。生まれてからずっと色というものを知らない私にとって、色を教えてくれたのは点で書かれた書物だ。
幼い頃雨は水なのだから青いのだろうと思っていたけれど、雨は時々沢山の色をすると書かれていたものを見つけてから幼心にずっとその事を考えていた。
色々な色とはどんなものか、私の手のひらには沢山の色が混ざりあっているのだろうか。だとしたら、他の人には私の手の中はきっと綺麗な物に見えるに違いない。
私は窓から手を出して、雨を集めては家族に綺麗でしょうと差し出していたそうだ。そのたびに何が綺麗なんだろうと家族や近所の人を困らせて悩ませていたのだという。
今思い出すと少々恥ずかしくなるのだが、そんな子どもだった。
成長するにつれて、雨は透明なのだとわかるようにもなったけれど、透明とはどんな物なのかを考えてしまい疑問は尽きることがなかった。
そして大人になった今でも、雨の色がどんな物なのかと考えると不思議と楽しい気分になって歩きにくい道も苦ではなくなる。
傘に弾く雨音に耳をすませながら、道しるべを白杖で叩く。幸いにも人は無いものを別のもので補おうとするので、耳がよく聴こえる私には雨音の一音さえもよく聴こえた。
コンコンと地面を叩く音や雨音が交じる中で、その時はやけにハッキリと聴こえた口笛に足が止まる。雨の落ちる中で澄んだ音だった。