第2章 地雨
「お待たせしました」
運ばれてきた紅茶から、柔らかい香りが湯気とともに広がる。窓に目を向けつつもすうっとその香りを楽しみながら、カップの淵をくるりとなぞる。
ここにカップがある事を認識して、カップの持ち手をそっと持とうとするとカチャリと音がした。
その音に窓から目を逸らし、音が鳴った方向へ目を向ければ頼んだ覚えのない赤い苺の乗ったショートケーキが一つ。
「あ、あの」
人と話すのは苦手な私は、置かれたケーキを真っ直ぐに見つめたままで必死に言葉を探す。よくできたと言っても、人間に違いないのだから注文を間違えてしまったのかもと思った。挙動不審になりながらも、その事を必死に伝えようと言葉を発せば第一声が少々掠れ気味の声になってしまう。
「え、と、頼んでないです」
やっと出た言葉に、恐る恐る上を向けばにかっと笑う定員さん。先ほどの爽やかな笑顔とは少々かけ離れた悪戯っ子のような笑顔は夏の太陽みたいだ。
「パスタと交換、な?」
そう言われてしまっては、何も言えなくなってしまう。断るという選択肢の前に、その選択肢をいとも簡単に無くしてしまうやり手の定員さんは、何事も無かったかのように「ご注文は以上でお揃いですか」と私に言った。
コクンと頷く事しかできない私に、にこっと笑ってごゆっくりと言葉を残して去って行ってしまう。
どこか掴み所のない感じが、私の待ち人を思い出させる。
温かい紅茶を1口飲み、ゆっくり味を確かめながらジャズと雨の音に耳を傾ける。
カチャリとソーサーに紅茶を置いて、ふうっとため息を零した後にフォークに持ちかえる。
赤い苺のショートケーキに、小さめな金のフォークを近づけそおっと苺をとる。
花柄のお皿の端に、苺を置き白いケーキにフォークを差し込む。
食べやすい大きさでケーキをとり、口に含む。
甘いけどしつこくない生クリームと柔らかいスポンジが口の中で絡まる。
ショートケーキの優しい甘さのせいか、一年前の大切な思い出が鮮明に蘇ってきた。