第7章 第3日目・男子FS(後編)
笑いを収めた純は、ジャージのポケットから取り出したスマホで複数の場所へ連絡を済ませると、改めて勇利を見た。
「勇利の本気は判ったわ。けど、実際に確認せん事には何とも言えへん」
「うん」
「ワールドと四大陸代表の発表は、明日の女子FSが終わった後の夜やから、昼過ぎまでは時間がある。今、昔世話になった大阪のリンクと話つけたから、そこで僕の『SAYURI』を滑る資格があるかどうか見せて貰うわ」
「純…!」
「音源は、僕のタブレットにストックが入っとるから、それでええな。まったく…競技終わって暇になるかと思いきや、まだまだ忙しそうや」
「あ、ありが…」
「礼を言うのはまだ早いで。明日、僕からOK出ぇへんかった時は、潔く諦めや」
「判ったよ」
しかし、小憎らしいまでに自信に満ちた勇利の表情を見ると、純はやれやれと言わんばかりに息を吐く。
同時に、自分がこれから勇利と行う事に対して内心で高揚感を覚えているのも、誤魔化しようのない事実であった。
(僕の『SAYURI』を勇利が舞う…?僕の振付が、あのヴィクトル・ニキフォロフを驚かす…脅かす…?)
本当に、この勝生勇利という男は底が知れない。
これまで自分がどう逆立ちしても、この男には絶対に敵わない事を思い知らされ続けてきたが、改めて純は痛感せずにはいられなかった。
「あ、ヒゲ。僕、明日勇利とEXの練習に出かけるから」
「お前は何を勝手な事を…!」
「逐一連絡するし、女子のFS始まる前には必ず戻って来るわ。…場合によっちゃ、僕のセカンドキャリアへの切欠になるかも知れへんで?」
「ハッ、俺の言葉にも頑として首を縦に振らなかったお前が、ンな殊勝なタマか」
「僕からもお願いします。僕には、純の力が必要なんです」
頭を下げてきた勇利の姿に、藤枝は奇妙な苛つきを覚えながらも「まめに連絡寄越せよ」と、舌打ち混じりに認めてくれた。
翌朝。
昨日渡された『SAYURI』の音源をイヤホンで聴きながら、ホテルのロビーにいた勇利は、珍しく待ち合わせに遅れてきた純を見た。
「堪忍、寝坊したわ!」
「大丈夫、そんなに待ってないよ」
謝りながら現れた純と並んだ勇利は、彼から漂う香りがいつもと違う事に気づいたが、急いでいたのでそのまま駅へと2人で歩き始めた。