第6章 第3日目・男子FS(前編)
朝。
優しく身体を揺すられて勇利が目を開けると、少しだけすまなそうな顔した純の姿があった。
「おはようさん。ホンマはもっと寝かせてあげたいんやけど、も少ししたら鍼のセンセが往診に来んねん。悪いけど自分の部屋に戻って貰うてもええか?」
ひとつ伸びをしてベッドから下りた勇利は、また公式練習で会おうと挨拶を交わしてから純の部屋を出た。
程なくしてコーチの藤枝も部屋に戻って来て、その際勇利とすれ違ったらしく「勝生が、お前とちゃんと話が出来て良かったつってたぞ」と告げられると、純は安心したように息を吐いた。
「泣いても笑うても、今日が最後や。どんな結果になっても悔いのないようやり切ったる」
「お前よぉ、そんなにとっととスケート辞めたいのか?」
不意に藤枝にそう尋ねられた純は、眉を顰める。
「…この膝が限界なのは、あんたもよう判ってるやろ」
「俺は、これでもお前のスケートのセンスは買ってるつもりだぞ?ついクワドだの派手なジャンプに目が行きがちだが、実際競技中はスケーティング時間の方が遥かに長い。勝生には一歩及ばねえが、お前のスケーティング技術は、これからの男子フィギュアに必要なものだ」
「僕は…これ以上家族に迷惑も負担もかけられへん」
「抜かせ。姉さん夫婦っつう後継ぎと兄貴もいる大家族の末っ子なんざ、親に止められない限りは好き勝手してりゃいいんだよ」
「やかましいわ!あんたに僕の何が…」
「今日は、お袋さんだけでなく親父さんも来るって、俺の所に連絡あったぞ。こうすべきだ、こうしなきゃいけねえ、の前に自分が何をしてぇのか、もう一度きちんと話してみろよ」
口元のヒゲを擦りながら含み笑いを漏らす藤枝に、純は複雑な表情をする。
「ま、俺はこれから膝に鍼打たれて泣き喚くお前を見れんのが、楽しみだけどな」
「……今すぐそのヒゲ毟ったろか、このボケが」
数10分後。
地元で世話になっている鍼灸医の兄弟子にあたる人物が大阪から訪れて、彼の診察を受けた純は藤枝の予告通り、涙混じりの悲鳴を上げ続ける事となった。
そんな純の醜態に忍び笑いを漏らしながらも、診察中苦痛に叫ぶ純の手をしっかり握り続けていた藤枝の温もりを無視出来ない自分が、純はとてももどかしかった。