第9章 アイ(家康)
家康は、御殿の自室につくと、もう一度深い溜息を吐く。
「いえ…やす?」
背中からは愛の不安そうな声が自分を呼んでいる。
振り返りながら、繋いだ手を引き寄せ、
そのままギュッと思いっきり愛の身体を抱きしめた。
『ごめん…』
家康の掠れた声が耳元でする。
「謝らないで?どうしたの?」
抱きしめられたまま、愛は家康の背中を優しく撫でる。
暫く何も言わず、そのままでいた家康が、
漸く、抱きしめていた腕を緩める。
身体が離れ、家康の顔が見える。
目元を赧らめたその顔は、すこしバツの悪そうないつもの表情。
「家康?大丈夫?」
愛がもう一度訊く。
『大丈夫なわけ…ないでしょ』
その答えに驚くが、どこか具合が悪いわけではなさそうだ。
「お茶淹れてくるから、家康は着替えたら?
そしたら、ゆっくりできるし」
そう微笑みながら言う愛に、家康は素直に首を縦にふる。
(珍しく、素直な家康もちょっとかわいいな)
愛がお茶を沸かし終え、家康の元に戻ると
着替え終わって縁側でワサビを撫でている姿が目に入る。
お盆を持ったまま、隣に座ると、
『遅い…』
と、小さく呟く家康。
「ごめんね、私も家康とゆっくりしたかったから、
先に着替えてきちゃった。お待たせしました」
そう言うと、淹れてきたお茶を渡す。
「ワサビと遊んでたの?」
そう言うと、愛もワサビを撫でようとするが、
その手をさっと捕まれ、
『だめ…』
と家康に拒まれる。
「えっ?」
今度こそ驚いて家康をみると、
家康はワサビを触ろうと差し出された手をそのまま自分の頬に持っていく。
「家康?」
きょとんと愛が家康の名前を呼ぶと、
『順番、俺でしょ。ずっと待ってた…』
家康の言葉を理解した愛は、クスっと少し笑って
両手で家康の頬を包む。
「うん。ごめんね。お待たせしました」
そう言うと、チュっと一瞬の口づけをする。
愛の顔が離れると、真っ赤な顔の家康は
『ワサビ、触られていいよ…』
と、言いながら、目をそらしお茶をすする。
愛は堪えきれず、クスクスっと小さく笑い出し、
そっとワサビのおでこを撫でる。
「今日のご主人様は、珍しく素直ですね?」
そうワサビに話しかけながら。