第8章 私が髪を切る理由(幸村)
『なんで?いいじゃない。たまに買ってあげてるんだしさ。
美味しいお団子屋さん知ってるから、行こうよ』
愛は聞きたくなくて、少し離れた場所へ身を隠す。
声は聞こえないが、姿はしっかりと見える場所だ。
『明日は別に休みじゃねぇから駄目ですよ』
『明日迎えに来るから!』
強引にそう言い放つと、笑顔で手を振って行こうとする。
慌てた幸村は、咄嗟にその娘の手首を取って引きとめ、
『行けねぇもんは行けねぇ。いい加減にしろよ!
用もねぇのに来るな!』
と、声を荒げた。
(え?なに…あれ…幸…村…)
『わかったわよ!もうあんたんとこでは買い物しないから!』
そう言うと、町娘は怒って行ってしまった。
『まったく…だからこんなもん売りたくねぇんだよ…』
ため息混じり肩を落とすと、視界に一番愛しい姿を見つける。
だが、その目はとても悲しそうに見えた。
愛は、幸村の視線に気づくと、咄嗟に駆け出す。
『え?おい、愛!』
幸村は急いで追いかけると、愛の手首を掴む。
「やだ!触らないで!」
先程の光景を見ていた愛は、
知らない女にしていたように手首を掴む幸村の行動を許せなかった。
『何怒ってんだよ!』
「怒ってない!」
『じゃぁ何なんだよ』
「何でもない」
『用があったから来たんじゃねぇのかよ!』
「用がなきゃ来ちゃいけないなら、もう来ない!」
『おい…お前は、ちが…』
別に愛は用がなくたって来て欲しかった。
なのに、売り言葉に買い言葉で、つい口をついて出てしまった言葉に後悔する。
幸村が言葉に詰まっている間に愛は踵を返し歩き出す。
慌てて呼び止めようとするが、大切な事を伝えていない事に気づく。
『待て…愛、明日一緒に出かけられなくなった』
その言葉に愛は、先程言い寄っていた町娘の言葉を思い出す。
《明日よかったら一緒にお茶でもどぉ?》
「私も行きたくなかったから丁度いい。じゃあね」
そう言うと今度は小走りに駈け出す。
『すみませーん。お兄さん?この帯留めいくら?』
幸村が振り返ると、男女の客が品物を見ながら声をかけていた。
そのうちに愛の姿はどんどん見えなくなる。
『くそ…なんなんだよ…』