第8章 私が髪を切る理由(幸村)
「何を言ってるの?」
確かに、この店は愛が好きで通っている。
城下に用事があった時や、着物を届ける際には、
必ずと言っていいほどここで休憩していた。
ただ、この場所を教えてくれたのは秀吉では無く三成だ。
秀吉と来たのは、つい先日が初めてだった。
無論、織田軍の武将なら、安土城にいるかぎりはよく来る場所ではあるのだが。
「はい、お待ちどう様」
そういうと愛の前に、お茶と磯辺焼きを置いていった。
愛はお茶を飲み、一息つき口を開く。
「さっきの秀吉さんとって、どういう事?」
幸村は愛に目線を合わせる事なく、
『別になんでもねぇよ…』
とだけ答える。
(まずいな…、このままじゃ…)
どうにか愛との逢瀬を楽しい方に持って行きたいのだが、
今日は何時もよりも上手くいかない。
早くどうにかしないといけないという焦りが、
余計に幸村を難しい顔にさせた。
チラっと気づかれないように顔を見れば、
そこには逢いたくてしかたなかった愛が目の前にいる。
でも、愛の全然嬉しそうじゃない顔を見ると、
幸村は不安と焦りで何を言い出せばいいか余計にわからなくなる。
コトン…
愛がずっと両手を温めるように持っていた湯呑みを置く。
「幸村…ごめんね」
そのまま俯き、黙り込む愛。
急に思っても見なかった言葉を聞き、あからさまに動揺する幸村。
(何謝ってんだ…まさか本当に…)
いつか、戦場の草原で、
〈もう愛してない〉
そう言われたのを急に思い出した。
あの時は、愛の嘘はバレバレだったから、
心に余裕もあった。
でも、今は違う。
愛は、髪を切りたいと言い、秀吉との仲睦まじい姿を見せつけられ、
そして、今目の前で俯いて自分に謝っているのだ。
そんな姿を見せつけられて、心に余裕がある方がおかしいように思える。
幸村は、心変わりを伝えられる恐怖から、
先回りした心にもない言葉を溢した。
『別に…謝る必要なんかない。
お前のことなんて、もう…』