第5章 恋の試練場 中編
『耳遠いの?敬語も、さんも要らないって言ったの』
少し不機嫌そうに家康が言う。
「わ、わかりました…」
愛がそう言うと、家康は手を止めて愛の方を向き
「はぁ…」と溜息をつく。
『それ、敬語だから。だいたい、なんで三成や政宗さん、
秀吉さんにまで敬語使わないのに、俺だけ敬語なわけ?
いいから。そういうの』
突然の事で驚く愛だったが、
「ごめんね。わかったよ。
家康、ありがとね?」
少し恥じらいながらも、笑顔で声をかけた。
愛に笑顔を向けられた家康は、赧らんでいるだろう目元を隠すように
手元に視線を戻して、
『手、止まってる。本当に日が暮れるよ』
と、言う。
「うん!」
と、嬉しそうに愛も手を動かしはじめる。
会話が弾むわけではなかったが、
二人で黙々と作業をしているだけで、
今までよりもずっと愛は、家康に近づけた気がしていた。
家康も、この穏やかな時間を密かに楽しんでいた。
漸く全てが終わったのは、陽が沈みきる直前のこと。
二人がそれぞれ、最後の一つを終えると、
愛は改めて、
「家康ありがとう。家康のおかげで今日中に仕上がったよ」
と、お礼を言った。
家康は、
『別に。ただの暇つぶしだから…』
と、立ち上がる。
『これ、こんなに作ってどうするの?』
と振り返り、
愛に訊くと、
「明日にでも端切れをくれた反物屋さんに持っていくよ。
反物頂いたお礼に、店先で売ってもらおうと思って」
と、嬉しそうに話す。
『へぇ、反物くれたんだ?』
そんな事もあるのかと不思議に思って訊くと
「うん。三成くんに献上っていう事で、頂いたの」
と返ってくる。
(また三成か…)
一番聞きたくない名前を出されて少し苛立ったが、
愛の嬉しそうな顔を見ていると、不思議といつもより
機嫌を損ねることはなかった。
『気をつけて出かけなよ。怪我されたら面倒くさい』
そう言うと家康は歩き出した。
「あ、まって、いらないかもしれないけど…
よかったら、お礼に一つどうかな?」
と、愛が家康を呼び止める。
予想外の申し出に、びっくりしたが、
ふっと口元を緩めて、
『じゃあ、愛が選んで』
と言った。