第96章 ワインレッド~season~
賑わう店内。
威勢のいい店員たち。
ここは、おいらが仕事帰りにたまに寄る居酒屋さん。
「とりあえず生2つ?」
「うん。そうしよ」
スーツの上着を脱ぎながら、おいらは生ビールを2つ注文した。
「なに食べようかなぁ」
向かいに座るその人は、おっきな瞳をキラキラさせてメニュー表を見ている。
あぁ、今日もその姿が見れて嬉しいよ。
「ん?どうしたの?」
「ううん、何でもない」
「それならいいけど…。ねぇねぇ、智くん。いつもの食べる?」
…もしできるなら、キミを…翔くんを食べたい。
そんなことまだ言えないけどね。
「んふふ。翔くんも好きだねぇ、えのきベーコン」
「うん、好き。智くんもでしょ?」
「うん、好き」
…おいらは、世界中の何よりも翔くんが好き。
だけど、それもまだ言えないんだ。
“いつもの食べる?”で何のことを言ってるのかが通じるおいらたち。
だけど、知り合ってからはそんなに年月は経っていない。
翔くんとは一年半前、ここで出逢った。
同僚たちとは別の店で何度か飲んだことがあったけど、途中から悪口で盛り上がる。
おいらはその雰囲気がイヤで、誘われても断るようになった。
それ以来、1人で入る店も同僚たちが行く所じゃなくて、別の場所を見つけた。
それがこの店だった。
値段も安くて料理もそこそこ旨い。
カウンター席があるから、1人でも気兼ね無く入れるのが気に入った。
翔くんと初めて接した日。
その日もいつものように、おいらはカウンター席に案内された。
隣の席の人も1人なようだが、とにかく皿の量が半端なかった。
1人でどんだけ食べるんだよ…。
気にはなりつつ、おいらも生ビール2杯とつまみを3品食した。
そろそろ帰ろう。
そう思いながら最後に水を一口含んだ。
隣にいた人が席を立ち、会計に向かう。
その後ろ姿は、意外にも細身だったからビックリした。
あんなにスラッとしてるのに、いったい何皿食べていったんだろう。
横目で皿を数えていると、その人が座っていた椅子にスマホがあるのが見えた。
こういう時に限って、店員さんが近くにいない。
おいらは咄嗟にそのスマホを手に取り、会計のある場所に急いだ。