第90章 My Angel
「あ、そうだ…」
櫻井さんが体を起こし始めたから、僕も同じようにした。
スエットのポケットに手を入れてゴソゴソしているのをじっと見ていると、5秒ほどして櫻井さんの手が僕の前に差し出された。
「これ、使って」
手の中に握られていたのは、部屋の鍵。
櫻井さんちの鍵…。
「家族以外に鍵を渡すの初めてでさ」
「えっ」
「こんな日がくるなんて、自分でもびっくりしてるんだけど…」
トクン…と胸が鳴る。
「今度一緒にさ、鍵に付けるお揃いのストラップでも買いに行きたいな…なんてね」
何だろうな。
櫻井さんとは一緒に住むんだから、鍵を渡されるのはおかしなことではないんだけど…
家族以外は僕が初めてで、しかもお揃いのストラップを持ちたいなんて。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「ホント?それなら良かった」
櫻井さんの手から僕の手に鍵が渡る。
僕の胸が再びトクン…とした。
暫く鍵を見ていると
「大野はさ、牛乳は好き?」
って櫻井さんに聞かれた。
“牛乳”って言葉にドキッとする。
「はい、好きですけど…」
そぉ〜っと顔を上げ、櫻井さんに視線を向けてみた。
「牛乳もだけど、冷蔵庫に入ってるものは飲んだり食べたりしていいからさ。遠慮しないで」
「はい、ありがとうございます」
…あなたに対しても遠慮はしなくていいですか?
って勇気は、僕にはまだない。
それから間もなくして、僕たちは「おやすみなさい」とお互いの部屋に戻った。
櫻井さん、ちょっと照れてるような表情をしてたなぁ。
僕の唇には、櫻井さんの唇の感触が残っている。
そして手の中には櫻井さんから受け取った、5㎝の小さな奇跡。
さっきは嬉しい気持ちでいっぱいだったけど…
ちょっと不安にもなってくる。
いつか…この鍵を返す時がくる、のかな。