第2章 この腕の中の君 ※【黒尾鉄朗 続編】
「今日はフラれちゃったし、もう帰るね。お先に」
「お疲れ」
隣のデスクの椅子に引っ掛けてあったバッグを持つと、成瀬は手を振りながら部屋から出て行った。
ほんとはもう少し仕事を片付けておきたい所だったけど。
明後日からのことを思うと、気が削がれてしまった。
帰り支度をしながら、成瀬との出来事を思い出す。
あれは、まだ桜が咲く前だった。
あの日は成瀬含めた同期の仲間と飲みに行き、帰りが終電になっちまった。
最寄り駅が同じ成瀬を家まで送り届けた、その別れ際。
『ありがとう、黒尾くん。送ってくれて』
『いいよ。じゃ、また来週な。お疲れさん』
『あ、ねぇ待って。髪の毛、何か付いてるよ』
そう言って、俺の髪を見上げた。
『ちょっと屈んで?』
俺は言われるまま腰を屈める。
髪の毛に指を通して、「取れたよ」と小さく呟いた、その後だ。
俺が体勢を戻そうとする直前。
ふわっと甘ったるい香りが動いたかと思えば、俺の唇に何かが触れていた。
瞬時にそれが何なのかは理解できた。
成瀬の唇―――。
でも俺は、それを拒まなかった。
啄む唇をボンヤリと受け止め、「あぁ、酔ってんだな」くらいにしか思わなかった。
唇を離した成瀬は呟く。
『黒尾くんて淡白なの?』
『……何で?』
『全然がっついて来ないから。何かヘコむな…』
『酔っぱらいにキスされてもね』
『私、黒尾くんのこと好きよ』
『は?』
『って言っても、酔ってるから説得力ない?』
『まあ…』
『じゃ、次は酔ってない時にちゃんと言うね?』
最後にそれだけ言って、その日は別れた。
けど、成瀬の言う"次"ってのはそれきり訪れていない。
何だったんだ、一体?
『好き』ってのが本気かどうかは怪しいし、酔った勢いでキスするほど酒が弱いのかもわかんねぇ。
でも確実なのは、後輩の一人が思わせ振りな態度で振り回されたあげく、フラれてるということ。
それからあいつ、俺が知ってるだけでも社内に元彼が二人いる。
何にせよ、あんま関わりたくない女ってのは確か。